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勉強ができる子どもは「不真面目」だ
勉強ができる子どもは、不真面目だ。「わからないこと」に、真正面からぶつからない。「とりあえず」と、後回しにしてしまう。「わからないこと」があっても、解決しようとせずに「放っておく」のだ。
「株仲間が分からない……」と、顔に皺を寄せて怒っている生徒がいた。
中学校の社会科では、江戸時代の「株仲間」を次のように説明する。
「都市では問屋・仲買などの大商人が、株仲間という同業者組合をつくり、幕府の許可を得て営業を独占して大きな力をもつようになりました」
教科書は「やさしく説明した」つもりなのだろうが、とんでもない!
ほとんどの中学生は、まったく理解できない。
まず「問屋・仲買」という流通用語が分からない。「組合」や「営業の独占」も、ちんぷんかんぷんだ。
分からない用語を、ひとつひとつていねいに解説していたら、それだけで授業は終了だ。実際、そんな「まずい授業」をしたこともある。
そこで、室町時代にもどって「座」の復習をする。
「商人や手工業は、同業者ごとに座とよばれる団体をつくり、貴族や寺社の保護を受け、営業を独占する権利を認められました」
「営業の独占」を解説して、株仲間は室町時代の「座のようなもの」と言えば、かなりの生徒が「ふぅーん」という顔に変わる。
もちろん、座と株仲間は違う。でも、勉強ができる子どもを見習って、わからないこと」に、真正面からぶつからない。「とりあえず」と、後回しにしてしまうほうが得策だ。
ところが「株仲間が分からない……」と、顔に皺を寄せて怒っている生徒は、納得しない。気持ちは分かる。分かるんだよ。ぼくも、勉強ができない真面目な子どもだった。
「わからないこと」があると、わかりたいと思って「わからないこと」にこだわる。
でも「わからないこと」にこだわると、ずっと「わからない」状態にいることになる。未来への展望もなくその場に留まるのは、猛烈なストレスだ。
やがて、パニックをおこして「もういい!勉強なんてやらない!」と放り出してしまう。パニックを起こす代わりに、気持ちを他のモノへ移して、勉強を止めちゃう場合もある。
勉強ができない子どもに必要なのは「とりあえず、ま、いいか」と先へ進もうとする「不真面目な精神」なのだ。
ぼくは「子どもだった自分に、教えてあげたい」と、今でも思う。