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タイ🇹🇭の生活

私は幼稚園の年中さんから、小学2年生までお父さんの仕事でタイに行った

その頃の私は、海外に住める!というワクワクと、名も知らないタイというところへの恐怖、友達と離れてしまうという悲しみが入り混じっていた。

まだ今住んでいる街を全て知らなくて、校区外にいくのでさえ未知の世界が広がっているように感じて、どこまで続くのか興味津々だった頃。
そんな私が、自分の住んでいる街さえ知らないのに、日本を通り越して海外に行くなんて…
友達には、かっこいい〜!と言われても、みんなと離れて友達ができるのか不安だった。

出発の日、私は年中さんの途中でいくことになってしまったから楽しみにしていたお泊まり会も出れずにいくことになってしまった。
お父さんは先に言っていたため、お母さんと、日本語もまだ喋れない1歳の弟と3人でいくことになった。

幼稚園というと、まだお母さんと手を繋いで歩く歳。
なのに、幼い弟がいて私がしっかりしないといけない!その責任感から、
飛行機の中も1人でトイレに行けた。
キャビンアテンダントさんとお絵描きをしたり、おしゃべりをしてもらった。
約7時間ものフライトを、幼い弟がぐずらないように一緒に遊びながら乗り切った。

着くと、タイ人の運転手さんが待っていた。
タイでの生活がスタートした。
タイは、とにかく暑くて、夏が大好きな私にとってはぴったりの国だった。
家の中では、ローラースケート、ベランダでは鬼ごっこができる広さで、
常に運転手さんがいて、何不自由のない生活だった。

1番良かったのは、子供ファーストの国で、スーパーで走り回ろうが怒られることはなく、電車に乗ればみんなが席を譲ってくれた。
物価も安くて、日本に帰ってきた時はポテトチップスを買うのに100円も出さないといけないことにびっくりした。

でも、苦労もあった。
日本人学校に行くのにはお迎えのバスに乗らなければならない。
そのバスは、6時半に来るため、早起きをしなければならない。
そして、帰りのバスも、何台も出せる距離ではないため、1年生でも、6年生と同じ6時間授業だった。
朝の6時半から3時半までの学校生活。
1年生にしてはよく頑張ってたな、と思う。

また、道に売ってある屋台に並ぶチキンやジュースには虫がとまっていて当たり前。
タクシーは高いので、トゥクトゥクという壁のないタクシーみたいなものに乗ることが多かったが、乗り合いはよくあることで、高熱が出ていた日も途中で人を乗せられてしんどい思いをしたこともあった。
また、狂犬病のため野良犬に噛まれてはいけなかったが、タイの野良犬は人を見つけると走ってくる。だから、隠れるのに必死だった。
様々な病気の感染を防ぐため幼かった私たちはたくさんの注射を刺された。
外食をしても、辛いものばかりで、食べれるものを探すのに必死だった。

幼い頃に海外に移住することは、簡単なことではなかった。
でも私よりももっと怖かったのは、弟だろう。
まだ1歳だった弟は、知らない人に抱っこされるは、キスをされたりつれていかれそうになる。
幼稚園も年少さんの前から入らせられる。
派閥により、国内デモが起きる日は、きてはいけない色の服を着ると殺されそうになる。

人見知りが激しい弟のために、幼稚園の休み時間は弟のクラスに遊びに行ってあげた。
本当は、3歳離れだったから一緒に通えないはずの幼稚園に通えたのは、タイに行けたからだ。

そんなこんなで、あっという間に日は経ち、いよいよ帰国になった日にはあれだけ恐怖や不安があったタイも故郷のように懐かしく、寂しく感じた。

今思うと、不自由はなかったというのは嘘になるが、縛りやルールというものが曖昧だったタイでの生活は日本と比べて自由の楽園のように感じる。


行事にも、マンション全体で全力で取り組む。
マンションや建物は大きく豪華なところが多い。
横断歩道がない分、危険ではあるが好きなところで渡れる。
警備員さんと鬼ごっこをしたり、パン屋さんで欲しいとお願いしたらタダでくれたり、服を売りながらお菓子やご飯を食べていたり、ゾウに乗ったり、馬に乗って海辺を走ったり、自分のマンションに水泳の先生が来てくれて教えてくれたり…

子供ファーストの国で、子供時代を思いっきり楽しめる幼稚園、小学生時代にタイで過ごせて良かったと思っている。

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まなか
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