J.S.BACH/シャコンヌ
以前にも書いた。
シャコンヌといったらわたし。
わたしといったらシャコンヌだ、と。
他にもシャコンヌという曲があるのかは知らないが、わたしはバッハのシャコンヌとヴィターリのシャコンヌ。この二曲については、ちょっとうるさいのです。
二十歳過ぎたころにこの二曲のシャコンヌと出会い、脳天を雷に打たれたような衝撃を受けたということも前述した。
前回はヴィターリの方のシャコンヌについて意見を述べたので、今回はバッハの方のシャコンヌについて語ろうと思う。
もちろん、すべてのバイオリニストのCDや生演奏を聴いたわけではないので、そこはご寛容に読んでいただけたら幸いです。
なぜ、いま語るのかというと、先日買ったばかりでまだ聴いていなかったバイオリニスト川田知子氏のCDが、枕元に置いてあるCDウォークマンから流れ出ていることに早朝に気づいて目が覚めた。ということがあった。
もしやのや、また夢遊病がでて、川田さんのCDをウォークマンに入れたのかもしれない。覚えがない。
朝は忙しかったので、とりあえずウォークマンを停止させてそのまま放置しておいたのだが、夜になり、川田知子氏が「わたしのシャコンヌをいつ聴いてくれるの?」と問いかけている気がして、じっくりと聴いてみた。
そうしたら、わたしのシャコンヌ熱に火が着いたのか、持っているCDをかき集めて聴き比べをしてみた。
昔に聞いた話だが、シャコンヌを好んで弾くバイオリニストは「シャコンヌ弾き」といわれていたようで、難易度が高いのか、バッハのシャコンヌをリサイタルで弾く人も少なかったように思う。
もちろん、いまはそんなことはなく、シャコンヌを含むバッハの「無伴奏バイオリンパルティータ」をリサイタルで弾いたりCDに収録している人も増えたのかなと思う。
そんな中で、わたしのお気に入りのシャコンヌ弾きのバイオリニストを独断と偏見で、紹介していきたいと思う。
まず、いっておきたいのは、わたしのシャコンヌとの出会い、生で前橋汀子氏のシャコンヌを聴いて、まるで雷鳴に聴こえ、ショックを受けた。
わたしのシャコンヌ愛はそこから始まる。
それから、アルトゥール・グリュミオー氏のCDと出会い、わたしのシャコンヌ遍歴に展開していくのだ。
無伴奏バイオリン・パルティータ第二番、第五楽章「シャコンヌ」平均で約14~5分。
山の向こうに広がるピンクやムラサキ、ブルーのどんどん色合いを変えていく空に夕日が吸い込まれていく。
わたしは当時、住んでいた高台の家の部屋からその景色を見つめながらステレオでこのシャコンヌを聴き、真剣に、ときにはその空の美しさに見惚れ、じっくりと暮れゆく夕焼けを楽しんでいた。
アルトゥール・グリュミオー。
この演奏者がわたしの中での第一位、それはいまも変わらない。
脳天を突かれる。
この表現が一番近い。
とにかく突っ走るスタイルで無駄な強弱がなく無駄な緩急もない。ときにはクールに、ときには汽車の音のように激しく、キレのある最高のシャコンヌだ。
ここはこう弾いてほしい、というのが全面に弾き配られていてなんの文句も差し込ませないほど秀逸だ。
バッハもこの演奏なら天国で「ブラボー!」と拍手を送っているだろう。
これ以上のものがあるのだろうか、とも思わせるシャコンヌだ。
もちろん他のパルティータも無伴奏バイオリンソナタもどれを聴いても素晴らしい。
かえすがえすも、非の打ち所のない超ウルトラカッコいい演奏を、ぜひ聴いてほしい。
脳天突かれる体験をぜひしてほしい。
次いで二位。
前回とは変わっている。CDも他にも増えているし。
うーん、悩むなあ。
難しいな~。
強引に挙げるのならば、鬼気迫るギドン・クレーメルかな?
かなり昔に彼のリサイタルを聴きに行ったのだが、彼は踊りながら弾いていた。
踊るといっても、手足をちゃらちゃら動かすわけではない。
上半身を揺さぶり腰を柔らかく動かしてまるで踊っているようなのだ。
三十年前の話なので、プロコフィエフだったか、なんのプログラムだったかは忘れたが、ピアノ伴奏があのマルタ・アルゲリッチ。
これは贅沢極まりない。
いつもわたしはコンサートや舞台などは一人で行き、満足し、余韻に浸りながら家へ帰る派なのだ。
誰かがいると気が散る。
まあ、それも娘が生まれる前の話。
娘がある程度の年齢になったらたくさんのクラシックコンサートに連れて行った。
今年の暮れにもヘンデルの「メサイア」を聴きに行く予定。
やっぱり年の暮れは「メサイア」と「第九」だね。
話は逸れたが、ギドン・クレーメルの弾くバッハのシャコンヌ。
主題でまず背筋を正される。厳格さを保ち、緩急を劇的に生かし、荒れ狂うわけではなくあくまでも精神の高みを感じさせる、聴いている人に有無をいわせず200%「これぞ」と納得させてしまう圧倒的な演奏。
緩さを必要とするところも甘さや悩ましさは許さない。そして全体的なスピード感、その迫力は極めて高い技巧的な演奏になっている。最後の音の処理まで気迫が込められている。あっぱれ。ブラボー。
第三位。
迷った。これは難しい。
厳しく順位をつけるなら、天満敦子氏かな。
出だしのたっぷりとした主題。
たっぷり感が嫌みではないのだ。なんというか、包容力とでもいうべきか。
このバイオリニストの特徴をひと言で表すなら、「魂」だ。
でも、極端なストイックさは感じない。
たっぷりと弾くところは弾く。謳うところだってある。で、走るところは走る。どこまでも丁寧に弾く。
そして、わたし個人が求める、ここのところはこう弾いて欲しいな、というのを満足させてくれる。痒いところに手が届く演奏。
別にわたしの意見など汲んでくれたわけじゃないが。
いわゆる「シャコンヌ弾き」なのであろう。
前にシャコンヌを聴きに天満敦子氏のリサイタルに行ったとき、帰りに直筆サイン入りのCDを買った。
天満さんも出口で握手をして見送ってくれ、わたしは小さく「ありがとうございました」といったのたが、小さすぎて聞こえなかったようで、え?という顔を一瞬され、すこし間を空けて、ああ、という感じで頷いてくれた。
そのとき、やはりオーラとかいうものを感じ取った。
オーラってなんだろう。考えるが答えが見つからない。
第三位、タイ。
ここは、やはり甲乙つけがたかった。
川畠成道氏だ。外せない。どうしてもわたしはこの人の音が好きなのだ。どこか郷愁感を誘う。
無伴奏バイオリンパルティータを弾くために人生をかけている、とかいうスタンスではないようで、でもヴィターリもバッハもシャコンヌは心を込めて弾くよ、という感じだろうか。
謳い過ぎない実に男らしいサバサバとした演奏。太めの音もとても良い。終盤は非常にダイナミックで心を震わされる。イヤホンで聴いていると、奏者の鼻息がたまに聴こえてくるが、川畠氏の鼻息はたまらん。変態か。
こういうカッコいい演奏は、わたしは大好物だ。
だから、第三位タイに持ってきた。
天満敦子氏とはまたテイストの違うシャコンヌ。本当に甲乙つけがたい。
さてさて、番外編。
わたしのシャコンヌ熱を再発させてくれた、川田知子氏のシャコンヌ。
彼女の持ち味、ずはり美音。
それだけで十分だ。
脳みそがとろける演奏。
演奏自体は、バッハの世界を美しく丁寧に表現してくれた。
本当に音が美しく滑らかで、どこを聴いても金太郎飴みたいに耳障りがいい。それだけでなく、パワフルでもある。
でも、なんとなくだが、優等生のシャコンヌかな、と感じた。
川田氏は断然ヴィターリのシャコンヌの方が良い!
わたしは川田知子氏のファンなので、こんなことを書いて、万が一本人に読まれてしまったとしたら、きっと気分を害されるかもしれない。
でも、こんな素人の地の果てでもじょもじょ書いてる記事が目に触れる機会などないだろう。
だから好き勝手主観を書いたのだ。
もしやのや、という心配も要らないだろうし。
あとね、ヒラリー・ハーンも悪くない。どちらかといえば万人受けはいいのかもしれない。あとは好みだね。
なんでやねん!なにがあかんねん!ってヒラリー・ハーンは怒るかもしれないが。
なんかね、中弛みがあるんだよね。あくまでも個人的な感想だけど。その緩急がいいという人にはたまらないのだろうけど。
でも、もし伝わるなら、矢部達哉氏にバッハの無伴奏バイオリンパルティータ第二番をレコーディングして販売して欲しい。
速攻買うから。
そして、要らんうんちくを垂れ流すから。
関係ないけど、矢部達哉氏のベートーベンのバイオリンソナタはカッコいい。
ぜひ聴いてみてほしい。
あと、シャコンヌをはじめて聴きたいがどのバイオリニストのを聴けばいいのかわからない場合は、アルトゥール・グリュミオーを推します。理由は前述した通りです。彼のバイオリンで脳天直撃されてください。
長くなってしまったが、わたしの愛するシャコンヌ、バッハ編をいつかご紹介したかったので、その時がいまだ、と思い書きました。
こんな変態記事、誰が読むんだ、と思うが、もしも話が共有できる方がおられれば、あれやこれやと話してみたい。
総じて語るなら、シャコンヌを弾くバイオリニストは、みなシャコンヌを前にしてその敬意を表して真摯に向かわれている気概を感じる。
だから、甲乙つけがたい。
みなそれぞれの精神性を持ったシャコンヌなのだから。
世界のシャコンヌの収録されているCDを、各地を周りながら聴いてみたい。
できれば生演奏も聴きたい。
そうなるとヨーロッパに旅する資金も稼がなきゃならないし。
なるべくなら資金は老後に当てたいが、いつ死ぬかわからない人生。
残された時間はどれくらいかは分からないが、有意義なものにお金を掛けてそれまでを生きていたい。
クラシック音楽は心に余裕がないと、聴けない。
いつでもクラシック音楽を聴けるメンタルでいたいと思う。
ここまで読んでくださった方は本当に辛抱強い方だと思う。
本当にありがとう。
という、小説が書けていないっちゅう大掛かりな言い訳でした💦