お金は、人生の勝ち負けの指標か?
「インターネットビジネス」
という言葉が、世間でも
認められてきたのは最近だ。
そういう世界に、僕は
10年以上、身を置いている。
10年前、僕が大学を卒業した頃
インターネットでビジネスなんて
ほとんど世間では、謎の物質だった。
それで、社会に出ると
中学とか高校の連中が同窓会なんてやったりする。
すると、必ず
「何の仕事してんの?」
という質問は、ほぼ
挨拶みたいなもんだ。
この質問を受ける度に、僕は悩んでいた。
「相手の頭の中にない概念を
どうやって伝えようか?」
質問してくる相手の中には
ステータスゲームを望む者もいる。
(受け答えが面倒なので、ネット詐欺と答えていた)
ステータスゲームをする人間とは
・良い仕事に就いてるか
・大企業に勤めてるか
・月収、年収がいくらか
みたいな事を基準に
「どちらが上か」とか測る変わった連中だ。
正直、そういう人間を
僕はそんなに好きではない。
最も驚いた文化を持っていたのは
高校時代の同窓生で
「年齢<月収(万円)」
なら、勝ち組だと断言して
それをひけらかしてる人だった。
まぁ、彼もそれなりには
努力してきた人間なんだと思う。
(その努力がねじ曲がって、そのロジックに至ったのか?)
僕は、彼とは高校時代に
全く面識はなかった。
そして、これからも面識はないだろう。
さて、そんな感じなのが
若いオスの習性かもしれない。
特に、起業を目指すような人間は
そういうタイプも中にはいる。
最近、起業の文化が広まったとはいえ
やはりまだ少数だ。
その少数グループの中で
成功する人間は、ちょっと限られたりもする。
そんな中でも
「自分だけはうまくいく」
「絶対、成功できる」
なんて根拠のない自信を持つような人間には
調子に乗った属性が混ざるのも、また確かだろう。
そして正直、僕はそういうノリとは
違ったスタート地点を持っている。
僕が大学を卒業する時に
考えていた事は、収入やお金によって
「勝利」
を手にする事ではなかった。
多くの若いオスは、ビジネスに成功し
勝利を手にしようとしているのかもしれない。
・タワマン
・高級外車
・豪遊、女
古臭いかもしれないが、そういう事を
疑いもなく目指してる連中は
想像しているよりも多かった。
(タワマンなんて、景色はよくても
健康にワルいだけだとは知らないらしい)
そして、そういう人間を
僕はそんなに好きではない。
別に、キライでもない。
本人の好みなら、それでいいだろう。
ただ、お金や収入額を「勝ち負け」の
基準と捉えるのはどうだろうか?
僕は、大学を卒業する時に
一生で稼ぐ必要のある金額を計算した。
「大卒 生涯収入」
なんてググったわけだ。
で、だいたい2〜3億円くらいだと知った。
じゃ、40年もかけて働くのは
気が遠くなるから、早く終わりにしよう。
そう思ったのが、僕が
お金を稼ぐ上でのモチベーションだった。
だから、お金を稼いだ額によって
「勝ち負け」をはっきりさせようなんて
1ミリも考えていない。
言ってみれば、収入とは
夏休みの宿題くらいに考えていた。
もし、中学や高校の時に
夏休みの宿題を早く終わらせて
「俺の勝ち!」
「俺の方がすげぇ!」
なんて言ってくる男がいたら
そいつは、頭がおかしいだろう。
たぶん、めちゃくちゃガリ勉だ。
同じように、収入の額によって
勝ち負けを押し付けてくる人間に出会うと
「こいつ、何言ってるんだ?」
「ガリ勉か?」
と不思議な気持ちになるのが
僕の20代のルーティンだったと言える。
僕は、さっさと人生の宿題を終えて
楽がしたいだけだった。
誰かに勝つのは、それ以外の
趣味とかスポーツ、ゲームでもやればいい。
そこにはプロの道もあるのだから
「真の勝者」になりたければスポーツだろう。
ビジネスで勝敗なんて曖昧だしな。
そして、お金に奔走している連中は
お金以外しか取り柄がない人間もいる(ように見える)
「お金を稼ぐのが得意」と「ゲームが得意」の2つがあったら
どちらの価値が高いかは個人差が出る。
しかし、お金しか考えない人間は
「お金を稼ぐ能力が最高の基準」と考えていて
各自の基準よりも、世の中の基準を優先させられている。
いわば踊らされてる人間になってしまい
だから、魅力はあまり感じない。
なので、好きではないし
一緒にいたいとも思わなかった。
だから、僕には友達が少ない。
おそらく僕の方が変人なのだ。
東京で起業に燃える連中は
何かに、誰かに勝とうとしている。
そういう人間が、想像よりも
多かったように感じている。
もちろん、それは僕の偏見かもしれない。
僕はただ、経済活動やビジネスにおいての
宿題を終わらせてるだけ。
もちろん、宿題に取り組む中で
ものすごく学んだ事が多い。
それは、僕の想像を
はるかに超えるものだった。
なので、気づけば僕は
宿題を終わらせる事よりも
「宿題を楽しむ」
「宿題で遊ぶ」
そういうスタンスへと変わっていった。
それが、僕が20代の間に
仕事やビジネスについて経験してきた事だ。
とはいえ、早めに宿題は終えておきたい。
ついでに、面倒くさがりの僕は
大学を卒業する時に
「自分の会社を立てるなら
週休3〜4日にする」
と、なんとなく目標を立てていた。
話が長いが、小学5年生の時
毎日の宿題の存在意義に疑問が生じ、、
「1年間、宿題をやらなくても
学力の維持は可能か?」
をテストした事がある。
(宿題は目的ではなく、手段であるはずだ)
結果的に、周りとの平均で見て
宿題を1年やらなくても変化はなかった。
同時に、勉強に対して
多くの人は平均的に真剣度が
めちゃくちゃ底辺レベルで低いのだと痛感した。
(僕も低いのだが、想像よりみんな低いと実感)
やる気がないまま、やる宿題は
そんなに意味をなさない。
それなら、授業中だけに割り切って
集中した方が効率が良い。
で、世間の会社員を見ていると
僕には
「やる気がないまま
宿題に取り組んでる小学5年生」
と、どこか似通った雰囲気を
感じない事もなかった。
(もちろん全員ではない)
これは、バカにしているのではなく
実際やる気がない人も多いと思う。
イヤイヤ勉強するのと同じように
仕事に関しても、小学校からのルーティンを続けてる状態だ。
そして僕は、彼らよりも
ずっとやる気も根気もない人間だ。
だから、そんなやる気ゼロの人間が
やる気を出すには、、、
「結果を出せば、リターンが豊富」
というモチベーション形式が
最も効率的だと感じた。
だから、週休3〜4日が
僕には必要だと考えたのだ。
週に5日も働けば、ナマケモノは
どう考えても根気が続かない。
でも、3日で仕事を終えたら
あとは自由になるなら、短時間だけは集中できる。
仮に、週4日働く事になっても
それは仕事を終えなかった自分の責任なら
そこには納得感がある。
・・・
一体、何の話をしているんだ。
とりあえず、時間も遅いので
今日は寝る。
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