見出し画像

ただ身の回りからやる。それだけのこと。

ニュースでは地球の未来について様々な危機が報じられている。しかし、日常生活の中で、その危機感を実感している人がどれだけいるだろうか。

確かに令和6年8月の暑さは酷かった。そしてその暑さは無慈悲でもあった。しかし所詮「暑い暑い」と不平不満を漏らす程度。この瞬間も私達人類は昨日と変わらず生きている。喉元過ぎれば熱さを忘れるか。

CCS、CCUS、DAC…。

いずれの先進的技術も社会実装には大きなコストがかかることは明白で、その効果が本当にあるのかどうかも正直なところよく分からない。どうせメディアが過度に不安を煽っているだけだろうと、冷めた視線を送る人がいるのも無理はない。

しかし、一方でチャレンジしている人たちがいる。なぜならそこには13兆円規模とも言われるマーケットがあるとされるからだ。
当たれば一攫千金。しかも結果的に地球のためなる。

彼らのチャレンジがもたらす副産物もあるだろう。気候変動への対応が仮に過剰だとしても、それにより、新たな産業が生まれ、雇用が創出される可能性もある。ただしそれらの先進技術にはコストという問題がつきまとう。投資可能な対象は潤沢な資金を持つ、大企業に限られることは容易に想像できる。

では、大多数である私たちはどうすれば良いのか。やはり事の推移を見守るしかないのか。

そうこうしているうちに「気候変動対策のために、これこれの技術導入、制度を義務づける。」こうお上からのお達しが発せられたら…。気づけば、私たちはただお金を払うだけの立場に追い込まれる。これでは割に合わない。

別に自分たちは何もしなかったわけではない。できなかったのだ。コストの面で。こういう言い訳が立つ未来なら良いのだが、時代はそれを受容してくれるだろうか。

気候変動問題の主要因である温室効果ガス排出量の削減。
身近なところから始められることはある。

省エネ、再エネ購入なんかは誰でも気軽に始められる取り組みのひとつだ。

そしてもうひとつ。
カーボンニュートラルな製品やサービスの導入。

気候変動問題への解決策へのひとつとして、もっとも日常に取り入れやすい取り組みだ。

コストさえ見合えば、今あるものを置き換えるだけ。
それだけで「自分は取り組んでいる」と言えるのだから。

時が経ち、「炭素税導入」と言われれば、こう言い返せば良い。

「すでに取り組んでいますが、何か?」