天才の努力が生み出す世界
定期的に「ハイキュー!!」を摂取したくなる。
手軽にアニメで。
今の気分は…
春高バレー2回戦「vs稲荷崎戦」。
何度も観ているが、
何度だって楽しんで観られる。
稲荷崎高校(兵庫代表)には、
わたしの一番好きなキャラクターがいる。
キャプテンの北信介である。
以前の記事で北さん愛は語っているので省略する。
今回、
何度も観てきたシーンだけれど、
北さんが語ったある言葉にふと意識が向いた。
彼の話題にいる侑(あつむ)は
稲荷崎の正セッターであり、
日本ユースにも選ばれている。
サーブは2刀流、
セッターとしても新しい技を試合中に成功させたり、
味方の難しいボールに対して最上級の丁寧なトスでアタッカーまでボールを運ぶ。
「アンダー(ハンドパス)は腕2本、
オーバー(ハンドパス)は指10本、
よりいっぱいで支えたんねん。
だってセッターやもん!!」
この言葉には痺れた。
敵チームにいるセッター影山飛雄もまた優秀だ。
高1にして正セッターでありビッグサーバー、
侑同様日本ユースにも選ばれている。
彼は正確なトスワークができる。
チームメイトとの意思の疎通が上手に図れずワンマンなプレイをしがちだが、
高校ではメンバーに恵まれ彼の技術を更に伸ばしている。
そんな優秀な彼らは天才と呼ばれているが、
何もしていないなんてことはなく、
努力を積み重ねてその座を掴んでいる。
北さんが云うように、
人より多くの練習だったり、
工夫した練習だったり、
人と同じ練習時間であっても内容の違う練習へと時間の費やし方が違ったりする。
そういった工夫を自分で考え動いている。
凡人が彼らに追いつけないのはその部分が大いに影響している。
子供の頃よく、
「自分て天才なんじゃない?」
なんて冗談交じりに言ったりしなかっただろうか。
成長するにつれ、
自分は天才じゃない、
特別なんかじゃないと思うようになる。
自分は凡人なんだと知る。
でも今になって思う。
天才は割と多く居るんじゃないかって。
ただ、
その後の努力がなかった為に、
才能を開花させるに至らなかったのでは。
エジソンの言葉を借りれば、
「99%の努力と1%のひらめき」
そのどちらも不十分だったということなのかもしれない。
ただひたすら努力をすればいいわけでもなく、
一つの方法をすぐにダメだと切り捨てるのでもなく、
微調整だったり、
大胆にだったり、
アプローチを変えて、
進み続けてきたのが結果を残せているのだろう。
そして、
優秀な彼らはおそらく共通して、
一足飛びに進もうなどとはしていない。
とにかく一歩一歩足を動かしている。
そうした努力の最中に身に付いた筋力が、
より困難に思える事柄を割と簡単に熟しているように錯覚させている。
それまでの過程が隠れてしまっているだけなのだ。
楽しそうに進む彼らが努力を努力と思っていないのかもしれないが、
正直その感覚をわたしには理解することができない。
お馴染み大森元貴を、
わたしは音の天才だと思っているが、
彼は地道に進む人だ。
ハイペースで曲を作っているから誤解されるかもしれないが。
彼は空へ憧れ、
鳥のように空へ飛び出すことを夢見はするが、
決して飛べないことを知っている。
辛くても一歩ずつ歩を進めること以外で自分の望む成果を出そうとは思っていない。
努力して、
アプローチかえて努力して、
そうして、
だと思っているのだから頭が下がる。
彼らが優秀である事には、
明確な理由がある。
天才がしてきた努力を、
凡人は勝手に無かったものにしてはいけない。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。