見通すチカラ
自分の未来を、
どれくらい明瞭に想像できますか。
どれくらい先の未来まで見据えて、
そのための準備を進められますか。
わたしはどちらも苦手。
そもそも、
◯年後にはこうなっていたい、
という欲があまりない。
地図も持たず、
計画も立てず、
ただひたすらにゴール(終末)へ向かって進む。
岐路に立てば、
感覚だけで道を選ぶ感じ。
人通りの多い道と、
見通しの悪い道があれば、
迷わず人通りの多い道を選ぶだろう。
すべてが受け身というか、
自分の行く末に期待をしていないというか。
音楽と人4月号の
Mrs.GREEN APPLEの中核である大森元貴のインタビュー記事を読んだ。
改めて、
大森元貴という人物の脳内が計り知れないと思わされる記事だった。
先日22公演を完走した大森元貴が、
ツアーについて触れていた。
彼は内容には触れず、
まっさらな状態で見てほしいと言っていた。
そのことについて、
漠然とではあるが、
彼がこれまで発表してきた曲を、
別の視点から楽しんでほしいからだと思った。
歌い方はよくアレンジをされる傾向があり、
その最たるものがStudio Session Liveなのではないかと思っている。
これまで聴いていた曲とはまるで違う表情を見せるアレンジは、
詩への理解をも解釈を変えてくる。
これはすごく恐ろしいと思っている。
The White Loungeのキービジュアルを思い出す。
見る角度によって絵が変わるレンチキュラー。
一見不可解なのだが、
あれは彼のつくる世界そのものを如実に表している。
我々受け手側は迷子になるかのように、
道はまっすぐではなく、
上を歩いているのか下を歩いているのか、
視界にモザイクがかかる。
曲はひとつなのに実に多彩なのだ。
インタビューの中でこんなことを言っていた。
曲は彼自身。
ただし世に放つ時、
その曲から自分を切り離そうとしている。
エンターテイメントとして曲を送り出す。
自分にとっては「自分からの逃避」のような感覚。
おそらく、
彼が一番最初に作る曲は、
もっと彼自身に近い曲なのだろうが、
それをそのまま世へ放つことは、
まるで裸を見られているような気持ちになるのではないか。
だからエンタメ性を纏わせる。
そうしてお洒落に着飾った曲を、
時には変装させて歩かせる。
これはどう?
今度はこんな感じだけどどうかな?
そうやって一人で歩かせる。
虚しくなるとも言っていた。
それはそうだろう。
自分であって自分じゃないなんて、
まるで自分がどこかに行ってしまいそうだ。
休止前は、
曲と自分を切り離しきれなかったことで、
ずっと裸を見せ続けて、
直接傷つけられていたのかもしれない。
戻ってきた彼は、
いまとても健全な状態で楽しむことができていると、
NOAH no HAKOBUNEの中で言っていた。
休止期間で彼にとってよい時間を過ごせたのだろう。
The White Loungeは、
曲が主役だったという。
演者はバイプレイヤーということか。
そして完全に自分から切り離した変装をさせた。
まるで様相の違う曲たち。
今SNS界隈では少し騒いでいるらしい。
賛否分かれるツアーだろうと言われていたが、
否の意見で若干荒れている…らしい。
わたしもチラと見かけることがあった。
まぁ解らないでもない。
そういう意見がでることもあるだろう、
という意味でだ。
そもそもアレンジ事体が受け入れられない人もいる。
わたしの子どもは、
Studio Session Liveはちょっと嫌だと思うらしい。
オリジナルが好きなのだ。
それも仕方がない。
でもわたしには、
原曲以上に好きだと思うアレンジがある。
ANTENNAはワールドカップ・バレーの応援ソングにもなった明るいアップテンポの楽曲だ。
昨年夏のドームLIVE一発目の曲でもあり、
盛り上がるのに適した曲だ。
それがどうだろう。
着替えた「ANTENNA」は、
湿度と柔軟性と重量を増していて、
まるで別人になっていた。
ちなみにわたしが一番好きなアレンジはコレだ。
映画「ワンピースRED」の劇中歌でAdoが歌っていた「私は最強」。
映画のイメージが強くこびり付いているが、
アレンジされたこの曲は、
すごくワクワクさせるような、
地上からエネルギーが湧き上がってくるような、
すごく力強い楽曲に変わっている。
わたしのお気に入りだ。
昨年怒涛の快進撃を見せた彼らは、
多くの人に認知される存在になった。
わたしがFCに入会してまだ1年未満だが、
その頃からこれまでで16万人が入会しているという。
10年かけて増えていったファンが、
1年弱でそれを大きく超えてしまった。
爆発的に増えたようだ。
でも、
大森元貴にとっては想定内だ。
遅かれ早かれ、
こうなることを想定していた。
むしろようやくここに立ち並ぶことができたと言う。
10年もかける予定ではなかったのかもしれない。
でもここに立つことができた。
ドームLIVE「Atlantis」で、
ようやく藤澤涼架と若井滉斗が横並びに立ってくれたと実感できたようだ。
それは藤澤涼架と若井滉斗自身もそう言っていた。
ミセスがミセスという結束力(バンド)を強くした。
だからここからがMrs.GREEN APPLEとしてのスタートライン。
CDTV年明けLIVEで「StaRt」を歌った理由はそこなのではないかと思った。
これから先をどんな風に見据えているのだろうか。
彼の描こうとしている世界はどんな世界だろうか。
すごく楽しみで仕方がない。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。