昔々の遠い昔のあるところの、ある人の話
Mrs.GREEN APPLEのFCツアーを映画化した
「The White Lounge in CINEMA」を観た。
あ、
2度目です。
何度も見返したいのですが、
映画館で観るのはこれが最後になると思うので、
円盤化に期待するとして…
以前の記事で、
ミセスの曲はわたしの感情とリンクしていないのでいつまでも聞いていられると言うようなことを書いたのだが、
実は1曲リンクさせてしまった(?)ことに気付いた。
The White Loungeで2曲目に披露された
「Folktail」という曲だ。
ミセスが居るという喜びの感情が溢れてしまい涙を流したという記憶が、
パブロフの犬のように感情を刺激するようになったという。
まぁ、
それはどうでも良い情報なのだが…
The White Lounge内でFolktailが歌われる直前、
大森元貴が扮する男性が冷蔵庫からボトルを取り出しグラスに水を注ぐというシーンがある。
映画の中では庫内からの視点でボトルを取り出す男性が映し出される。
さらに水を注ぐグラスがアップに映される。
このシーンは何を伝えようとしているのか。
ここからFolktailに繋がる意味は何だろうか。
そんな疑問が湧いたので、
毎度誠に勝手ながら関係がありそうなものを拾い集めて繋ぎ合わせてみた。
「注ぐ」という動作は、
文字通りの意味以外に、
という意味が含まれる。
そして「水」。
この世に存在するものは全て諸行無常であり、
変化なくして存在するものはない。
水を注ぐという動作で、
そんな否が応でも変化してしまったことへ意識を向けると暗示していたのではないだろうか?
そして「冷蔵庫を開ける」動作。
夢診断になるが、
この動作は「本音を知りたい人がいる」という思いが込められているとかいないとか。
過去を振り返り、
あの時の大切な人の、
あの時の自分自身の本音を知りたい。
そういう意味があったのかもしれない。
そしてFolktail。
これから始まるストーリーが過去の話であることを示唆しているのだろうか。
歌詞は、
過去に記憶を戻して良い思い出も、
後悔も思い出す。
いつだって変わりたいと望みながら、
同じ過ちを繰り返す我々は、
変化を望むばかりで変われなかったと思っている。
それでも明日へと生を進めることを歌っている。
自分は変われず、
周りはどんどん移ろっていってしまうことを悲しんでいるのかもしれない。
The White Loungeは、
過去との自分と向き合うことで気持ちを整理し、
また前へ歩を進める為の瞑想の空間だったのではないかと思った。
もちろんわたしの受け取り方だし、
何が正解とかはないのだろう。
少なくとも初めて観た時と、
改めて観た時と感じ方は変化していることが多い。
これは大森元貴の狙い通りで、
芸術に関して見た人それぞれの受け取り方は自由だ。
ただ、
彼の歌う根源にあるものは「愛」であることにブレはない。
水はスピリチュアル的に「愛」を表しているとかも言うので、
水を注ぐことで愛を注いでいたのかもしれない。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
※ タイトルは、民話を調べていたら出てきたのでそのまま使用しました。