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損切り人生は幸せへの最短ルート?
先日「上田と女がDEEPに吠える夜」という番組を観た。
人はカテゴライズしたがるとかって内容だった。
下記の診断が紹介された。
⚠ 同じ診断サイトかどうかは不明です ⚠
これら診断をしたことがある人に街頭インタビューをしていた。
骨格診断をした女性は、
「スカート以外はけなくなった」と。
パーソナルカラー診断をした女性は、
ブルベマウントをされたとか。
性格診断をした女性は、
初対面でタイプを聞かれた上で、
相性が悪いからとそれきり関係が終わったとか。
診断は面白い。
だから否定をする気はない。
そうやって自分に合わない(と診断された)モノを経験値となる前に早々に切り捨てていくことは、
効率よく自分の人生を良い方向に進めてくれるようにも思える。
できるなら苦労せず、
自分の望む人生を早い段階から送れれば、
それはなんだか誇り高い…というか鼻高い。
もし自分がそうなれたら…自慢してそう。
まぁそんな現実はないから問題ない。
「若い時の苦労は買ってもせよ」ということわざがあるが、
由来は不明なようだが、
この言葉を発した人が上記で述べたような診断を使用して端から不要(と思われるもの)と切り捨てる行動をどう見るのだろうか。
もちろん診断に限ったことではない。
例えば飲食店を検索して口コミを見る。
ある内容を先に経験した人に話を聞く。
それらの内容次第でより確実に成功体験に繋げようとする。
それは賢いのかもしれない。
かくいうわたしもそんな書き込みを読んで選択することはある。
苦労や失敗などはすべきだと思っている。
したくないけれど、
そうしないといけないような気がする。
気がするだけで、
明確な理由を導き出せないのが、
結局相応の経験を積んできていないからだと思う。
まだ自分は偉そうにヒトに伝えられるほどの経験がない。
それだけ損切りをしてきた結果だろう。
じゃあ損切りしてきたこれまでの人生を見て、
自分は幸せへの最短ルートを辿ってきたのだろうかと問えば、
うぅ…う…うん...…
とどちらとも取れる返事をしてしまいそうである。
自分は幸せだ。
住む家があって、
子供がいて、
仕事があって、
好きなことがあって。
幸せだ。
ただし、
大満足でこれ以上は不要と思っているかと言えば答えはNOかもしれない。
損切りしてきたのに?
ここにわたしの厄介な性格が邪魔をしている説が浮上する。
損切りしすぎることにビビって、
自分の感覚で選択をしてしまっているのだ。
損切りは自分の世界を狭めてしまうと恐れているためだ。
一体何のための損切りなのだろう。
わたしは一体どうしたいのだろう。
まったく中途半端なやつだと呆れてしまう。
大森元貴氏の言葉を借りるならば、
わたしは遠回りする生き物。
懲りずに中途半端な生き方をするのだろうな…
ちなみにわたしは仲介者タイプ。
以前やった時と違う結果だったが、
以前が何だったか忘れてしまった。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。