芯か、そのものか
作者:あきづき空太
「赤髪の白雪姫」
わたしの大好きな漫画である。
ざっと登場人物の紹介を…
本題に入る前に、
ざっとストーリーを書きます。
ネタバレにあたると思います。
読まれる予定の方はこの先の閲覧ご注意ください。
ミツヒデ・ルーエン(以下ミツヒデ)は、
第二王子の側近として優秀である。
ゼンの王子らしからぬ行動にもしっかり対応し、
騎士としても優秀。
ゼンの良き友でもある。
ある時、
クラリネス王国の北方領を広く治世していた伯爵家の反乱により命を狙われたゼン王子。
あらぬ疑いをかけられ拘束されたミツヒデは、
最敬愛するゼンを失うかもしれない恐怖を味わう。
この出来事がミツヒデにとってトラウマとなり心を縛られることになる。
事件の後、
木々の父セイラン伯がミツヒデに問いかけた言葉がある。
ミツヒデは「芯である事」と答えた。
わたしも同じく「芯である事」の方が強いような気がしていた。
どちらも、
その思いを失った時のダメージを考えれば、
どちらも同じだろうと考える者もいた。
そう考えるとよく分からなくなってきた。
セイラン伯は、
もしくは作者は、
一体何を問いかけていたのだろうか…
わたしが「芯である事」の方が強いと考えた理由は、
芯を外殻で護る事が出来、
大切なものを傷付けずに済むと思ったから。
「そのものである事」とすれば、
大切なものが剥き出しに露わになっていて傷付けられる恐れがあり危なっかしい気がしてしまう。
まるで大切な人を守るために戦いに出る鎧の騎士と、
赤子を抱えた親の様。
そう捉えた時、
何が強さの意味合いなのかが変わってくる。
赤子を抱えた親は、
今目の前にいる最も大切なものを傷付けまいとあらゆる危険を避けるのではないだろうか。
逃げて、
隠れて、
避けて、
排除して、
可能な限り危険を減らし護るのではないだろうか。
そしてそれは弱さの表れなどではなく、
決して傷付くまいとする心の強さを表しているのではないだろうか。
一方で鎧の騎士は、
大切なものを隠し、
大切なものを護るために戦いの前線へ出ていく。
我が身を傷付けられようとも、
芯がある限り突き進む力に変える。
避けるのでも逃げるのでもなく、
自ら排除するために立ち向かい、
傷付きながらも戦う力の強さを表しているのかもしれない。
自分を犠牲にしてでも護る強さなのか、
全力で危険を遠ざける強さなのか。
ますます答えを見出だせなくなってしまった…
あなたはどちらが強いと思いますか。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
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