激動の半生part3
株価上昇
特許事務所勤務も疲れた2005年夏、別の資産運用もやってみようと思い、株取引もやってみることにした。野村證券の口座を使ってまずはソニーの株を購入。なぜソニーかというとPS2が好きだったから。ちょうどそのとき衆議院議員選挙があり、自民党が大勝。それによって株価も一気に値上がりした。続いて、野村證券よりも手数料が安いネット証券を使って株取引を行い、株価は次々と上昇。半年もたたないうちにMMFとドルの損失を取り戻せた。一方、任期付き審査官は2回落ちて、弁理士試験も3回落ちた。私の目的は弁理士になることではなくフリーランスで稼ぐことだったので、投資で稼げるなら弁理士の道は諦めて投資家になろうと思った。2005年の任期付き審査官試験の申し込みはしたが、特許事務所勤務は疲れ切っていたので12月末で辞めることを伝えた。任期付き審査官は2次面接まで進んでいたが、2次面接のときは特許事務所は辞める準備をしていることは伝えずに受け答えしていた。
任期付き審査官採用決定
特許事務所勤務を終えて、晴れて無職の身に。これから投資で食っていこうと思い、投資の勉強をしていたところ、正月明けに任期付き審査官の採用結果がインターネットで発表されていた。信じられないことに採用決定だった。特許庁は残業も少なく働きやすいところだと父から聞いていたので、4月から働くことにした。採用通知と同時に、特許庁職員は株取引は自粛するようとの通知も来た。せっかく続けてきた株取引なのでやめることはできなかった。また証券会社に勤めている友人に聞いたところ、国でも個人の株取引の内容を見ることはできないと言っていたので、こっそりと株取引は続けることにした。特許庁で審査官を7年続けると自動的に弁理士の資格を取れるのだが、審査官の仕事が自分に向いているかわからなかったし、せっかく今まで勉強してきたので、無職に間は弁理士試験の勉強を続けることにした。4月から特許庁で働くことになったが、任期付き審査官に採用された人の中には、私のように転職を繰り返したり無職の期間があったりという問題のある人が多かったのでなじみやすい環境だった。
リーマンショックそして震災
特許庁勤務の頃は毎年総理大臣が代わり、国内政治は不安定だった。さらに2008年に起きたリーマンショックで世界経済は大崩落、株価も不動産も一気に下落したが、当時公務員の私は安定した給料をもらっていたので、下がった株は貯金0になるまで買いまくった。さらに国家公務員の地位を利用して銀行から低金利でお金を借りることで、都内に住居用のマンションと埼玉県内にアパート1棟を購入した。また、福島原発の事故で太陽光発電の補助制度充実し、アパートに太陽光発電を取り付けることにした。そして2012年末に自民党が政権を取り戻し、株価と不動産価格が上昇。審査官の仕事は他のサラリーマンに比べてやりやすい仕事ではあったが、憧れのフリーランスの仕事がしたかったので、2013年3月をもって特許庁も退職することにした。
特許事務所開業
2013年4月から特許事務所を開業。レンタルオフィスとして、名目上のオフィスを新宿に置いたが、実際は自宅で仕事をしていた。宇宙開発はお金がかかるので、弁理士の仕事などで高い収入を得てそれを開発資金に回すという考えだったが、開業弁理士の仕事では自分の生活費を稼ぐ程度のことしかできず、自分の思い描いていた未来とは違っていた。結局半年もたたないうちに再びサラリーマンになることにしたのだが、フリーランスで生活費を稼げる程度の収入があれば十分ではなかったかと思った。
つくばへ
再びサラリーマンに戻ったが、結局そこの会社でもけんかして仕事が激減し、1年ちょっとで半分フリーランスの状態に戻った。一方、アベノミクス以降株価と不動産価格は上昇。日経平均は15000円くらいが限界だろうと思っていたのにみるみる上昇を続けた。持っている株はほとんど売って利益を出したのだが、売るのが早かったように思うが、それでもだいぶ利益を得た。アパート経営も順調で、サラリーマンの少ない収入と合わせても十分貯金ができる状況だった。それで環境のいい場所に引っ越したいと思い、つくばに引っ越そうと思った。なぜつくばかというと、大学院生のときつくばにいたこと、道が広くサイクリングに適していること、つくばはJAXAがあり、日本の宇宙開発の拠点がある場所だからという理由で。都内のマンションは売ることにしたのだが、買った値段と売った値段が同じ。ローンの残額や仲介手数料などを支払っても150万円くらいのお釣りが出てきた。こうして、つくばに引っ越し、会社も辞めて再び無職になり自由な生活を送ることにした。
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