10代の頃、「たま」というバンドに出会った。 とっても不思議な世界観。 衝撃を受けたのを覚えている。 当時の流行りの音楽だったり、アイドルだったり、 それについていかなければ取り残されるような 雰囲気に飽き飽きしていた私にとって、 このバンドの「突き抜けっぷり」はすごいな、 と思うようになっていた。 アルバムを購入し、楽譜を購入し、少しでも ピアノやギターで、このバンドが奏でるメロディを 演奏したいと思いギターをお年玉で購入し・・・と、 どんどんハマっていった。 しかし、中学
このところ、ミュージシャンの訃報が相次いでいる。 それは、有名ミュージシャンの訃報だったり、 直接一緒に活動したことはないけれど、音楽仲間が挙げる SNSの中でよく目にする方だったり。 そのようなニュースや投稿を目にするたび、 ああ、自分もそういう年齢になったのだな、という思いと ともに、「私は本当にこのままで、音楽活動をお休みしたままで いいのかな」という思いが去来するようになった。 「死について考えること=生き方を考えること」 と、誰かが言っていたような気がするが、自分
人が心動かされるもの。絵だったり、アクセサリーだったり、はたまた、道端に咲いている花、身近にいる愛らしい動物だったり、いろいろだと思うけれど。 私にとって、心に残る思い出と必ず紐付いてくるもの。それが、なんだかんだと言って、やっぱり音楽だったのだ。 それは突然の出来事。写真で切り取られた光景と重なり合っていく音楽。 時に涙を誘い、思い出の余韻で笑顔になり、そこにはいつも、 音楽があった。 音楽活動を始めた頃は、自分を見離した人たちへの 当てつけのように、実は、半ば自暴自棄
どうしても、許せない人がいる。 許したくても許せなくて苦しい。 許せない自分は、心の狭い人間なんじゃないか、 と思うと、余計に辛い。 許せないだけで辛いのに、許せない自分を責めるエネルギーで、 二重にも三重にも辛くなる。 その繰り返し。 早く楽になりたいのに、楽になれない。 でも、許してしまえば、今まで苦しんできた 自分の労力と時間が全て無駄になったような 気がする。そんな二律背反が、またさらに 苦しさを助長する。 そんな時、心に浮かぶ曲がある。 「さよなら人類」という曲
人生のいろいろな事が少し落ち着き、 振り返ることが多くなってきた今日この頃、 ふと思い出したことを綴っていきたいと思う。
私の音楽。それは、当時一番届いて欲しい人には、 ちゃんと届いていた。数年越しで。 過去記事からの気づき。 もうこの時点で、私は願望を達成してしまった。 つまり、「私の【根本の願い】が叶っている」 ということ。 「音楽を通じてみんなを笑顔にしたい」だとか、 「私の音楽で、救われる人がいるから、 その人たちに音楽を届けたい」とか、 【自分の音楽を広めていきたい理由】や 【音楽に対する思い】を一生懸命 ひねり出したところで、 そういうことは、突き詰めていけば 「建前」であった
改めて考えてみた。 子供の頃から、自分にとって【音楽】というものは、「悪化した人間関係から自分を立て直すというか、もう一度認めてもらうためのもの」「傷ついてみっともない(と、傍からは思われているであろう)自分から挽回するためのもの」というパターンを繰り返してきた。 いわば、音楽は、私にとって「ナメられないための 魔法の杖」であり、武器であり、処世術であり、 「水戸黄門様の印籠」のようなものであった。 いじめられたり、友人に見放されたりした時に、【音楽をやること】でそれを回
ソロシンガーとして、活動していた頃のこと。 とある内輪のライブがあって、参加した時。 一番応援してほしかった人が、私には何の言葉も なかったのに、ある1人のシンガーを 「全力で応援したい」と言っていた。 ショックだった。 既婚子持ちでの活動とは言え、私だって 頑張っていた。 曲も、20曲弱作った。 夜のライブは難しいことが多かったので、 週末昼間のライブには、参加できる時には 参加した。 ワンマンも、自主企画ライブも行った。 シンガーとして、できるだけのことはしてきた。 な
私は料理が嫌いだ。 料理ができないから嫌いなのではない。 一応、一通りのものは作ることができる。 でも、嫌いなのである。 コンビニ弁当を買うのにも、スーパーの惣菜に 頼りまくることにも、なんらの罪悪感もない。 むしろその方が、気楽に食べることができたりもする。 手作りのもの(自分で作ったものも含めて)は、 作り手の念(?)のようなものがこもっているようで、 重く感じることがある。それが嫌なのだ。 こういう思いを抱くに至ったのは、子供の頃、実家で 料理を強制的に手伝わされ
先日、近所の人から、お子さんが生まれた旨の知らせを聞き、「うるさくてご迷惑をおかけするかもしれませんが」という内容のメッセージとともに、結構なお品物を頂いた。子育てに一応の区切りがついている私たち家族にとっては赤ちゃんの泣き声など騒音でもなんでもないのに、これから初めての子育てをされるご夫婦に気を遣わせてしまいかえって恐縮だなぁという思いで、私もご出産祝いを用意して、後日お渡しする予定で準備を進めているのだが、その数日後、学生時代の友人の親御さんがお亡くなりになったという報せ
というのは日本人のグルーヴらしい。どんな曲を演奏しても、日本人はこのグルーヴになると。小学校のときの部活(金管部)で顧問の先生から教わった。この話を聞いた時、「エンヤートット」なんてダサいなー、とうっすら思っていたのだが、なるほど、「エンヤートット」を意識して演奏すると、やはりリズムのノリが格段に違うということを実感した。あー、私は日本人。純然たる日本人。「エンヤートット」がこんなにしっくりくるなんて。海外の歌手のようなかっこいいグルーヴ感を身につけたかったな、と、若干悔しか
10代の頃、サザン好きを公言できなかった。サザンといえば、音楽だけではなく、企業のCMや有名ドラマとのタイアップを頻繁に行っていて、認知度もとても高く、当然ながらファンも多い。私にとっては、「遠い人たち」「手の届かない人たち」だったりする。チケットの当選倍率が高すぎるので、私はライブなんて行けないだろうと思っていた。桑田さんの歌や、メンバーさんの演奏をリアルに聴く機会には一生恵まれないかもしれないと思うと、少し悔しかった。 それに、みんなが好きになるようなアーティストを自分
2021年の締めくくりは、桑田佳祐さんの年越しライブだった。 横浜アリーナでの年越しライブが年齢制限(18歳未満の子供は、親同伴でも夜10時以降出歩くのはダメ、という自治体の条例により)で今までNGだった娘が18歳に到達したため、頑張ってチケットを取ってくれたのだ。ありがたや・・・ 娘はよっぽど引きが強かったのか、あるいは、桑田さんの年越しライブに対する思い入れが強かったのか(娘もファンなので、この年齢制限に関しては毎回悔しがっていたのだ)、奇跡的に当選!我が娘ながらすご
もうかれこれ、6〜7年前のこと。中学の同窓会が開催された。久しぶりにみんなに会えて、いろいろ近況報告やら、再会の喜びをお互いに味わっていた時。担任の先生が私たちのテーブルにやってきた。 先生は、私の隣にいた独身の友人を見るなり、こう言った。 「お前、まだ結婚しないのか。お父さんお母さんに、早く孫の顔を見せてやれ。それが親孝行なんだから」と。 私は自分の耳を疑った。中学生当時、好きで尊敬していた先生からそんな言葉が出るとは・・・。それと同時に、この田舎では(特に年配層に)
人生って、本当にどうなるかわからないことが多い。