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多言語話者の学びの「型」

外国人が日本語を学ぶ時、特に多言語話者が日本語を学ぶ時どう学ぶのか私はそれを中心に少しずつ文字にして行こうと思う。多分多くの日本人が想像もできないことを彼らはやっているのではないかと思う。私はそれを広めたいと思っている。その学びの型を私は何十年も見てきて、いつしかそれが「普通」になった。日本人の英語への取り組みを見ているとある意味で真逆の取り組みに見える。彼らは「話すために学ぶ」のだ。日本人は「学ぶために学んでいる」ように私には見える。でも日本人の鍛錬への忍耐力の強さ、細部に注意を払う完璧主義はボタンを掛け違えさえしなければ、語学習得に非常に最適な資質だと思う。もったないとしか言いようがない。そこが私は個人的に非常に悔しい。日本人が「話すための学び」を始めたら、私は日本人が世界最強の語学習得民族になり得ると本当に思っている。

AIがこれだけ進歩すると多言語話者であることや、そうなるために努力することが
これからは以前ほど重要視されないかもしれない。だが人間が人と繋がりたい、話したい、と思う欲求はどんなにAIが進化しても消えないと思う。日本人が(特に30代以上の大人世代が生きているうちに)せめて一ヶ国語ぐらい外国語で交流する楽しみや痛みを味わえるようになることを心から願っている。

今年の冬から私は久しぶりに完全な初心者、全く日本語を話せない人を担当し始めた。オーストリア人で母国語はドイツ語、他には英語とフランス語が堪能。スペイン語と中国語も少しできるそうだ。彼女は多忙なためレッスンは週に一時間だけ。彼女と私は基本的に英語で話す。レッスン中は時々ドイツ語と中国語も出てくる。最初はひらがなカタカナや漢字はやらず、ローマ字表記で会話に集中。ローマ字表記で文字を学ばないと言うのは2、3年しか日本にいないことがわかっている場合、よくあるパターンでもある。彼女の学びの「型」は多言語話者が見せる典型的な「型」だ。同じヨーロッパ人でも母国語と少しの英語ぐらいの人だとこの「型」はもっていない。私はこの「型」を持っている人のレッスンがたまらなく好きだ。何故か。その理由は簡単だ。彼らは本当に話せるようになるからだ。

この「型」を一言で簡潔に表現すると「とにかく話そうとする」と言うこと。
レッスンを受けて数ヶ月後からなどではない。初回からだ。

今、この光景は私にとって普通のことだ。当たり前のことほど言語化するのは
意外と難しいものだ。でも彼女がどう学ぶのか、それをこれから少しずつ文字にして表現していこうと思う。



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