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いい先生の見つけ方を知りたい

私は職業柄、「いい先生とは?」ということを本当によく考える。
いい先生であろうとするためなのか、
いい先生を探しているからなのか、うーん、多分両方だ。

でも、私は子供の頃から先生運が悪い。
すごく悪いというのではなく、「とてもいい先生」とか「素晴らしい先生」にあまり出会ってこなかった感じだ。だから、先生運が悪いと感じてしまうのは贅沢なのだろうか。世の中だいたいそんなものなのだろうか。私がなにか期待しすぎなのかもしれない。そして特に大人になってから趣味の領域でやっぱり先生運が悪いなと思うことがよくある。最初はいい先生だと思うのだ。でもいつもあとで気づく。しかも何年も経ってから。過ぎ去った時間と使ったお金は戻ってこない。お金はまあ、いい。でも時間は少し悔いが残る。最初からいい先生に出会えていたなら、今の自分の技術力がもっと良かった可能性があると思うからだ。だからそもそもいい先生を見極める目もないように感じる。でも、未知の領域の先生の良し悪しを見分けるのはかなり難しい。いい先生の見つけ方を本当に知りたい。

誰にとっても「いい先生」ももしかしたら、いるかもしれないが
人によって「いい先生」は変わるとも思っている。ある人にとっては素晴らしい先生でもある人にとってはそうでもない、そういう場合もあるだろうと思う。だから私も出会った生徒さんの100%に「いい先生」だと思われることは無理だとおもている。一つのわかりやすい目安は生徒さんがレッスンをやめないことかもしれないが、ただこれも難しいところだ。それは、今まで先生の交代希望の後任としてレッスンを担当したことが結構あるが「やめると言いにくかった」と前の先生と結構長く続けていたりすることもあったからだ。つまり私の今の生徒さんが継続してくれていたとしても、やめたいと言いにくいから続けてくれているという可能性もあるわけだ。そこに胡座をかかないようにしたいと肝に銘じてはいるが。

自分が学ぶ立場で見た時に、最近気づいた「いい先生」の目安がある。
それは自分がやる気になるかどうか。授業を受けに行くのが楽しみかどうか。
そしてダメなところを具体的に指摘してくれるかどうか。

最初はすごくいい先生だと思っても、自分にやる気が起こらなくなったら
それは一つのサインだと思う。先生生徒でない一般的な人間関係でもそういう場合がある。例えば、最初はいい人だったけど、あとからそうではない部分が出てきた場合。あまり生産的でない人間関係が続いているのに、悪い人ではないはずと初期の頃の刷り込みで正しい判断が下せなくなってるパターン。それに少し似ている。
やる気がどうにも出てこないのに、惰性で続けているのに、「いい先生のはず」という刷り込みで行動が起こせなくなっている状態。これは時間を本当に失う。

これは私の座右の銘でもある好きな言葉。

The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.

やる気に火をつけてくれるのがやっぱり最強のいい先生だと思う。
あなたの先生はGTO(Oじゃないかっ笑)ですか。

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