教科書がなくても話せるようになるというお話
私のstandfmのチャンネルに対して新しいリスナーさんから
過去配信について全体像がわかるものを作って欲しいという言葉をいただき
私はこの1年半ぐらいに作った350以上の配信を振り返ることになった。
結論から言うととてもよかった。
そんな言葉をくれた方に本当に感謝しかない。
まずは自己紹介の配信を作り直すことから始めた。
それを収録してみて自分の「語学への視点」が相当変化していることに
気づいた。そのうちの一つが教科書への考え方だ。
日本語教師新人の頃は日本語学校で働いていたこともあり
当然、教科書は使わなければならなかった。以来何冊の本を使ってきたかは
わからない。私の仕事部屋の壁面の一つの本棚は今まで買ってきた日本語の教科書で埋め尽くされている。(かなり処分もしたが)
今現在、私の考え方は「教科書などなくても話せるようになる」に限りなく近い。
何かしらは使った方がいいと思うし、拠り所になるものはあったほうがいい。
教科書の存在を完全否定するわけではない。が、教科書の存在を完全肯定しているわけでもない。教科書を全部やれば、文法の全体像が把握できるのは確かだが、
文法の全体像が把握できたからといって、会話ができるかと言ったら、それは別の話だ。
ここ1年の完全初心者(全く日本語が読めない話せない人)の生徒さんが教科書を開きたがるかということに注目してレッスンしている。
「今日はこのページをやりましょう」と私から言わなければ生徒さんはどう学ぼうとするのかというのをじっくり見ている。
全く使わないわけではない。たまに開く程度には使う。
だが、生徒さんが何を言いたいのかを「目次」と考えた文法の提出順番があってもいいと考えている。1リットル給油して1リットル分走ったら、また給油するような感覚で文法を導入している。
自分自身が学生時代に第二外国語でスペイン語を学んだ時は2年間で100リットル給油し続けて1リットル分も走らなかった状態だと思う。
今の完全初心者の生徒さんたちはよく走る。自分の力で走る。
きっと話せるようになると私は確信している。
お時間があれば、standfmにもお耳寄りあれ。