知識と知恵の違い
皆さんこんにちはこんばんは。
martです。
GWですねぇ。
今回は知識と知恵の違いについて、僕なりの考えを書き綴りたいと思います。
よく、話題の引き出しが多い人は話が面白いみたいなことを言いますが、本当なんですかね?
少なくとも、知識や情報(以下、「知識」という。)がなければ聞く一方しか出来ないので、知識は必要です。
想像してください。
会社に近所の保育園の子供たちが見学に来ました。
何をやってる会社なのか説明する係になりました。
「我社では、社会に貢献するため、スキームを立て、その過程を各所とコンセンサスを取りつつ、かつコンプライアンスの遵守、そのガバナンスを最も重視し…」みたいなこと言うバカいませんよね。(現実にはいるんですけどね。)
らいおん組さんでも理解できるわけがありませんから、もちろん面白くもないです。
話が面白い人って皆さん好きですよね。
要するにこういうことなんだろうと思っているんですが、ちょっと解説しますね。
前の記事でも言いましたが、人間は肉体的には激弱なので、社会を形成することで生き抜いてきました。
社会を作るにはルールが必要ですし、新たな問題に対処するためには知識が必要です。
なので、そもそも知識が欲しい生き物なんです。
基本的に平和な現代では、その欲しい知識は人によってか違うようになってきました。
数学者なら数学のことが知りたいし、オシャレ大好きさんなら最新ファッションのことが知りたいのです。
欲しい情報をくれる人=面白い人ってなるわけですよ。
さて、不特定多数と話す機会が多い職業の方は、どんな相手にも話を提供できるように引き出しを増やそうと努力されると思います。
僕もこの歳になって、若者世代がキャッキャ言ってる情報の何がおもろいん?と思うことが増えてきてオッサンになったなぁとつうかんするわけですよ。
前述の通り、Aが欲しい人にBを与えても、わあ!面白い!とはなりません。
結局のところ、知識が多いだけでは、この人にどんな話を振れば楽しんでもらえるかは分からないんです。
よって、知識があるだけでは面白くないんですね。
じゃあ、Aが欲しい人をAが欲しいと見抜くためには何が必要なんでしょうか?
知識ではありませんね。
知恵です。
具体的には、「経験を元に知識を精査する能力」なんじゃないでしょうか。
これも前述してますが、人間が作ってきた社会は言わばクソでかいコミュニティです。
字のままですが、コミュニティを作るために必要なのかコミュニケーションです。
要するに人が欲しい情報を特定するためには、
①提供する「知識」
②欲しい情報を見抜く「コミュニケーション能力」
が必要と言うことです。
さて、知識の活用は話術だけではありません。
そもそも社会を形成するために知識を使ってきたと説明しました。
よって、現代社会でも、知識は仕事に使えますよね。
会社で知識を使う状況を考えると、基本的に問題があった時だと思います。
なんだか上手くいかない、手間がすごいかかる等々。
さてこの時に、知識だけで対応しようとしたらどうな地獄が待っているでしょう??
巷に溢れるトヨタ生産方式のビジネス書。中小企業の3代目辺りが考えもなしにトヨタ生産方式を自社に取り入れます。
上手く行きません。何故か。
トヨタ生産方式はトヨタだから成立してる(許されている)部分が大きいことを理解していないからということと、そもそもの生産量が違うとか、会社規模が違うということもありますね。
でも、ビジネス書で得た知識は知識あることは間違いありません。
でも、Aという対応をしないといけないのに、Bを持ってきて対応しようとしているから上手くいかないのです。
要するに今抱えてる「問題点とコミュニケーションが取れていない状態」であるということです。
問題点は向こうから歩み寄ってはくれません。
そもそも潜在的にあった課題がだんだん成長して問題になった訳ですから、放っておけば悪化するしかありません。
この時に必要な知識ってのはなんでしょう?
自社内でもなんでもいいですが、別のジャンルの仕事で発生した問題の解決方法を自分の抱えてる問題にどうにかして適用出来ないかと「考える」ことです。
考えることで知識は知恵になります。
人間だって長い年月をかけてここまでの社会を形成してきました。
名作と呼ばれる本や、哲学書なんかを読むと、今も昔も人間の考えなんて同じようなもんだなと感じることも多いかと思います。
で、その問題が解決できている会社とできていない会社がある。
みんな通る道なんです。
それならそのやり方を見てみれば良いわけで、それを考えて「自分の会社Ver.」にするんです。
情報を引き出しに大事にしまいこんで、眺めて満足している余裕なんてありません。
話は変わりますが、引き出しに入っているものを取り出す工程は、
①引き出しの場所を探す
②引き出しを引き出す
③対象物を取り出す
④引き出しを閉める
の4工程です。
無駄っすよ。ムダ。
頭の中のことなんですから、すぐに関連づけられるように机の上に出しておけばいいんです。
綺麗にしまうことは大事だと思いますが、綺麗にしまうだけという人に最近出会いまして、まあ使えないんすよ。
学歴依存者みたいな、知識があるだけの人も同じですよね。だからなんだよとしか思いません。
僕なら、多少ちらかっていても、仕事ができる人の方が良いですねぇ。
あとトヨタ生産方式が出たついでに、「五回のなぜ」について簡単に説明したいと思います。
五回のなぜは、問題に対して根本原因を徹底的に洗い出すための方法です。
問題を5回なぜだろう?と考えるわけです。
これ、ポンコツって3回くらいまでしか深ぼれないんですよ。で、最終的にはあいつが悪いだの、社会が悪いだのほざく訳です。
違うんですよ。
5回も何故かと考えるとだいたい自分が悪いってとこに行き着くわけですよ。
「危ないなと思いながらも忙しくて声をかけなかった」とか、「あいつ気に入らないから教えてやらなかった」とかね。
なんか問題がおきたら、とりあえず自分が悪いと考えることが大事かなと思います。
まあ、詳しくはまた今度にしましょう。
ということで、知識がいくらあっても無駄だということですね。
考えて考えて、最適解を作ることが重要なのです。
考えるには時間が必要です。
時間の作り方は改善提案の回で触れておりますので、そちらもぜひ。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた🙇♂️