この美しく汚らわしい世界で私が私だけがあなたを追い続けている~でも正直肉食べたいし猫がかわいい~
彼が言ったそんな”断片的な呟き”は、当時、思春期真っ盛りの文学系オタクJKだった私には。
“ぶっささりまくっちゃった”んだよね……。
だって、さ。
当時の私にとって、『文章を書く』とは即ち、”考えること”で。
あーでもない、こーでもない、と。
どれだけ思考を巡らせ、そして、その思考をこれこれこのような考えである、と言語化し、それを色や形・声で表現するか。
そういうことが、何より最上級に重要で高尚なことだったわけよ。
じゃ、たとえばの話。
どれほどの悪人でも、文章が洗練されていて、かつ思慮深ければ、それは強固なる意思の表明で……。
要するに考えている人はすごいんだ、って。
思ってた。
逆に、どんなにいい人でも書いていることが誰でも言えそうなことだと、それは受け身で流されやすい人のいう言葉、と。
軽視していた。
何をしてきたのかなんて関係なくて、その人の思考を読むことができる文章を、私はとにかく愛してやまなかった。
そう、愛していた。
思慮深き文章たちを。
そんなふうな私が、チャットゲームにおいて。
“実力でわからされ続けた相手”に、『考えないこと』が幸せだ、などと言われた。
これが……どれほどのショックだったか。
……当時の私と彼を知らないあなたには、なんの想像もつかないかもしれない。
あなたは今、幸せですか?
自分が幸せかどうかを、考えたことはありますか。
何をすれば幸せなのか。
考えるのは好き? 嫌い?
……ねぇ。教えてよ。
あの時の私は、どうすればよかったの……?
……いや、ごめんね。
そんな昔の話は、もうどうでもいいんだ。
だって、その人はもうここにはいないんだもの。
私は猫が好きだし、本が好きだし、肉が好きだし、ゲームが好きだし、かわいい女の子が好き。
それでいいじゃないの。
それでいいはずなのに。
どうして私はまだ思考を巡らせて。
こんな文章を書いてしまうんだろうか……。
……何も、考えられなくなりたい。
ああ、どうか"56してほしい"、なんて……。
そんなふうに願ってしまうのは、しかたがないことだろう……。
Twitter@9_8rengo
追記:この記事は下記のブログにインスパイアされて書かれています。
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