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揃える揃えないで揺れるぼくら#3

はじめまして! やわらかな雰囲気で自由に語り合える、そんなましゅまろの会が気に入っているTOMOYOです。

今回は、あきさん、Yushiさんの記事を受けてバトンを引き継ぎ、「揃えること」「揃えないこと」に揺れる私の思いを言葉にしてみたいと思います。

(前回の記事↓↓)



1.揃えないこともいいなと思った私の出発点


私は経営学部を卒業し、小学校の教師を目指すために教育学部に編入しました。 経営学部時代に所属していたゼミでは、教室の外に出て、社会人と共にプロジェクトを進めたり、興味のある場所に足を運んで様々な方と話をしたりする学びの場がありました。

高校までの学びのように、教室内で同じ資料を分析し、発表する「一斉型」ではなく、学び方そのものが多様で、揃っていないゼミでした。

はじめは戸惑い、何をすればいいのか分からないこともありましたが、教室の外で 出会う人は「おもしろい人」ばかり!!

机に向かう学び方では得られない価値観や感情、人とのつながりを感じ、ゼミ生同士で対話する時間が楽しみだったことをよく覚えています。

大学生にとって社会は知らないことばかりのアウェイ、そんな場に飛び込みゼミに戻ってきてみんなで話す「アウェイで学び、ホームで語る」

そんな学び方で過ごした三年間が、私自身の学び方の横並び意識を少しずつ変えていったような気がします。

2.揃えないことから感じたこと

現在、教師となり、子どもたちとかかわる中で大切にしているのが「係活動」です。

係活動のいいところは、子どもたち一人一人が好きや得意を生かして、他者のために何かをする機会が確保されることだと思っています。

誕生日係として、「クラス全員の誕生日を祝いたい!」
そんな思いから活動は始まり、

どうやったら実現できるかな?
場所はどうする?
どのくらい時間が必要?
いつ集まる?

と、とにかくしゃべります。そして、自分達がしていいことはどこまでか、色々聞きに来るのですが、私はできる限りその全てに「いいね、やってみよっか」と応えるようにしてい ます。

もちろん、安全上や難しいことはその理由を説明して他の方法を一緒に考えることも ありますが、彼らが「やってみたい」と思うことに、私もまずのってみるのです。

そんな子どもたちの姿を見ていて感じたことは、互いの考えや思いを示した時に、相手を否定するのではなく、「じゃあどうする?」と、みんなでいい方法を考えていけるようになってきたことでした。

そもそも揃えることの方が難しい活動ですが、揃っていないことから対話がはじまり、思いがカタチになっていく楽しさや難しさを感じていたように思います。

3. おわりに


今回は「揃えること」と「揃えないこと」について揺れる私の思いを整理してみました。 揃えないことは、時々これでいいのかと不安になります。そんな時、「まずやってみたら」 の一言で子どもたちはニコッとなり、行動に移していくのです。

大学時代の揃えない学び方の経験があったからこそ、今も「方法にとらわれない学び」を肯定的に捉えることができているのだと感じています。 これからも、子どもと一緒に新しい学びを見つける人でありたいです。

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