見出し画像

揃える揃えないで揺れるぼくら#4

こんにちは、たろう@特別支援学校の先生 です。
「揃わない前提の授業とクラス」の読書会から始まったリレー記事。
今回は、私が担当です。

前回のtomoyoさんの記事は、コチラ↓↓

さて、「特別支援教育」「特別支援学校」と聞くと、
皆さんは、どのようなイメージをしますか?

・「子ども一人一人のペースに合わせて」
・「ゆっくり」
・「たのしそう」

など、プラスのイメージが多いのではないでしょうか?

しかし、私の教師1年目はその正反対からスタートしました。


1.「揃える」

まずは”椅子に座る”ということを教える。

そんなところから始まった私の教師1年目

「一人一人の子どもを丁寧に見とり、オーダーメイドの教育を!」

なんてのとは、ほど遠い。

子どもの気持ちを汲むことができないほど、

・一律に、教師の指示通りに動かす

ことに必死でした。

それは、なぜか。

子どもの安全を守れないから。それほど元気な子どもたちでした。
そして、「もし、大きな怪我をさせてしまったら。。」と怖がっていた自分がいたから。

私の特別支援教育1年目は「揃える」ところからスタートしました。

2.揃えようとしない子どもたち

揃えようと一生懸命な教師。

そんな教師の思いは関係なく、子どもたちは自分の思いを
貫こうとします。

・その時々の気持ち「~~したい。」がある。(遊びたい、寝たい)
・揃えることの必要性が分からない
・言語理解などの難しさ

など考えられる要因はたくさんありますが、

人は、「自分が思っているようにしたい」生き物なんだな。
と感じました。(教師も、子どもも)

揃えたい教師 VS ~~したい子ども

です。バチバチッ

3.揃えられる”気持ち” から 揃えてみる

そんな闘いが続き、少しずつ揃えられる場面も増えてきましたが、
子どもたちから”揃えよう”とする行動はほとんどなし。

そこで、揃えられそうな”気持ち”を考えてみました。

すぐに思い付くのは下の2つ。

・楽しい
・楽しみ

です。

そこで「みんなが揃ったら昼休みに行こう。」という

何気ない日常のシーンの中で

”みんなで集まれたこと”(揃えようとしたこと)

に価値づけをしていくことにしました。

すると、少しずつ、自然に、子どもたちが自分から着席するようになりました。そして、徐々にその行動はほかの場面にも波及していきました。

補足:着席できた子から自分の顔写真を黒板に貼っていき、全員揃ったら
昼休みがスタートします。全員の顔の写真が揃ったところで「集まれたね。」とみんなで拍手をしました。視覚(顔の写真を見る)を使って、全員が揃ったことを確認し、拍手(聴覚)で盛り上がります。
”揃ったこと”の認識が難しい子どもも、顔の写真がプロンプト(行動の手掛かり)となり、着席行動が身につきました。

4.最後に

リレー記事を執筆した先生方も、「揃える」「揃えない」で揺れ動き、

最後には、子どもの”納得感”を大事にしているようでした。

支援学校に通う子どもたちにも同じです。

全員が揃えることは難しいかもしれませんが、子どもたちの納得感を
大切にしていきたいですね。

5.おまけ

特別支援学校においては、”揃わない”という前提はすでにあります。

しかし、その前提が”揃える””揃えよう”とすることの価値を下げていることもあるのではないでしょうか。

もともと、集団があるからこそ、他者を意識できる。

個 だけでは、いつまでも一人の世界のまま

他者の存在を知り、他者の存在が自分の利益になっていることを知る。

自分の存在が他者の利益を生んでいることを知る。

集団として揃えること(揃えようとすること)もしっかり教えていきたいと
思います。


コミュニティ参加は下記URLからどうぞ^^
https://x.com/i/communities/1642410359645675527

いいなと思ったら応援しよう!