民俗学的資質について
民俗学という分野はある意味入り込むのが難しい面があるように思う。
対象が重複する学問に文化人類学がある。
文化人類学が登場するのは進化主義の花が咲いたころだろう。進化主義、その言葉からダーウィンの進化論を想起する人もあるかもしれない。が、ダーウィンの進化論は進化主義的進化観に批判的な進化論だと私は思っている。いわば進化主義の異端だったのだ。
(私は歴史が弱いので話半分に読んでいてほしい)
進化主義というのは史観のひとつのようなもので、生物の分野に限らず多くの分野で展開された。そのひとつが進化主義的社会学で、社会は時間を経るほど善いもの、完成されたものへと発展していく、というものである。当時その頂点、つまり最も発達した文明は当学問の学者が属していた西洋文明だと考えられた。
ここで歴史について、とりわけ西洋文明の歴史について解明しようとしたとき、西洋の過去の姿を知る方法として目をつけたのが、異文化の、特に未開文化と呼ばれた社会の生活だった。未開とは「いまだ近代文明に至っていない(ゆえに劣っている)」という意味だ。この未開文化を知れば、西洋文明の過去の、より原始的な姿を解明できると考えたのである。ここに進化主義的文化人類学が誕生する。また未開なる彼らを開化することは西洋の使命であり、それが植民地主義になっていく。自文化中心主義の誕生である。
とはいえ、自文化中心主義は自然な心性であり、ややもすると私たちもこのイズムで物事を考えてしまう。未開人と言われた彼らにしても、調査や宣教に訪れた西洋人の倫理観を一笑するのである。
人間を取り囲む環境には自然的な環境と社会的な環境の2種がある。持ち上げた物が、持ち上げたまま手を離せば落ちるのが道理であるように、自文化内に属し続けた者はその文化を普遍的な道理だと思ってしまうのだ。外部がないのだから、それは無理からないことではある。かといってこれを正当化して異文化に介入するのは植民地主義的な悪事である。
自文化中心主義はのちに批判されることになる。その契機がどこにあったかは分からないが、第二次大戦が関係しているのかもしれない。だれか優れた者が一人出現して、批判したのではなく、彼らをとりまく状況自体が批判として機能し、この主義を瓦解させたのだろうと思う。外部は批判であり批判とは他者である。批判のない自己は孤独に外部のない自文化への耽溺である。
進化主義、自文化中心主義に根差していた文化人類学は批判的に理念の立て直しが要請された、このことが文化人類学が自己批判の学問といわれるゆえんでもある。
このように自己を包んでいる主義というのは透明で、自己によくなじんでいる。発言の内容が発言することそのものに矛盾しているのを感じた人は少なくないだろう。自己のなかで思われていることと自己を包んでいる主義とが一致していない、繋がっていないということからこういうことは生じている。
民俗学が難しいと感じるのはこの部分だ。
民俗学が対象にしているのは、一般人であり、一般人のしぐさや生活の特徴である。ほとんど人の全部が対象になっていると言ってもいいが、そうすると何を取り上げるかは民俗学者のセンスに依存することになる。
ありとあらゆる情報という情報を書き起こすことで対象化に成功することは可能であろうが、その作業は膨大にならざるを得ない。
対象化するためには自己にも浸透し切ったものを異化していく必要があるのだが、これは見えないものを見えるものにしていく作業であり、見えないものがあるという前提をもたない者にはこの作業自体が発生しない。そこで分かり易く民俗学的な対象である祭や芸能といった、ハレたもの、またケガレたものしか対象にできなくなるのである。あるいは妖怪や迷信といった前近代的なもの(合理主義的に承服できないもの)を対象にするか。
これはとても狭い民俗学である。無益ではないにしても多くのものが取りこぼされていると感じてしまう。
民俗学をする上でもやはり自文化の外部に触れ、そこから改めて自文化を相対化する機会は必要だろうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?