磯野家の間取り
サザエさんの住む磯野家の間取りを以前に見て大変興味深かったので、ここに考察を書いてみたいと思う。
画像元:https://www.jutec-home.jp/news/11065/
仕切りとは単に空間を仕切るだけでなく、仕切られた空間を意味づける。
1.生活空間
玄関から上がって直進すると、廊下の奥に「居間」「台所」「脱衣所」「風呂」へと繋がる生活空間が広がる。基本的に家族の空間として位置づけられるだろう。風呂が最奥にあるのは台所とともに水場である加減から配管の都合もあるかもしれないが、生活空間のなかでも私的な場として奥に隠されると解することもできる。
居間は食事や娯楽の空間であるとともに慣れ親しんだ客を招く場としても機能している。そこへお茶や食事を運ぶ利便性から考えれば、台所の位置はその奥になる。台所は応接の場ではないので、基本的に客を入れないだろう。仕入れのための勝手口からは三河屋さんが配達に来るが、三河屋さんなんかも裏方として位置づけることができる。多分、寿司やラーメンを出前したらやっぱりここから入るんじゃないかな。
玄関から遠くなるごとに裏の意味合いが強くなっていく。それは単なる観念ではなく、実際通り道としても隠れるようになっているから観念になっていくのだ。
2.個室
個室は子供部屋とフグ田部屋と2つある。波平夫妻の部屋は居間に隣接する部屋かと思うが、他の画像を見るとだいたいここは客間とされていて、その隣が2人の部屋とされている。いまいち釈然としない。というのはタンスがあり、押し入れがあり、また仏間もあるらしいから、この部屋が波平らの部屋という気がする。客の入る部屋にものをそんなに置かないだろうし、その左の部屋は飾っていて、床の間があるし応接の机もある。また庭を見ると物干しざおは左の部屋からは隠れるように設置している。まさか洗濯物を客に見せないだろうから、やはり右が客間というのは怪しい気がする。また、茶や菓子は台所から出されるだろうと思えば、部屋を跨がなくてはいけない右側の部屋が客用ならスマートな配置じゃないともいえる。ここでは右を波平夫妻の部屋、左を応接間としておこうと思う。
3.庭
庭は一種の異界だ。普段の動線でここを見ることがあるのは、波平夫妻の部屋と応接間である。庭を見ることは贅沢のひとつと言えるようだ。外界の喧噪を隔てる廊下の最奥にはトイレがある。さっき水道の配管云々の話からすると離れたところにある。もしかすると汲み取りなのかもしれない。
4.廊下
異界を渡すのが廊下である。生活空間へは廊下を直進して連絡しているが、応接間へは2度道を折れることになる。フグ田夫妻の部屋の前は両側が壁に遮られて暗いことだろう。その先に庭からの仄かな明かりが漏れてきているはずだ。この明るい空間を暗い空間を潜っていくことも禊のような心理的な役割を負うのに違いない。逆に言えば直進する生活空間は俗世の延長としての心理効果があるとも解説できる。
さて、暗い廊下を抜けて折れると陽が射しこむ明るい廊下に転調する。折れるというのも妙のひとつで、光を予告しながら暗い廊下を抜けると急に景色が開かれるという仕掛けになっている。通常よりも感動を与えるのに違いない。
その奥の応接間へ客は案内されるのだ。そこは俗世の時間から離れ、家の主と踏み込んだ話や趣味の共有をする空間として機能する。
5.電話
さて、廊下でもうひとつ気になるものがある。電話の位置づけである。電話は廊下の丁字路、辻に所在する。現代において卓上電話はリビングに設置されることが多いだろうが、ドラえもんにしてもちびまる子ちゃんにしても廊下に設置されている。
なぜ廊下、それも磯野家においては辻にあるのか。それはどこからでも取りやすいという機能以上に電話が醸す魔に由来しているのではないかと思う。辻というのは古来より魔のつくところだ。磯野家にあるこの辻も生活空間と応接の天上空間との分岐点という性質がある。応接間にいく暗い廊下は禊と同時に留まることにどこか不吉なものを思わせもするだろう。
こうした辻にある電話というのは外界からの報せを受ける場所だ。それは良い報せも悪い報せもあるだろう。ルーティーンの世界の腰を折る存在が電話である。そこで電話は特殊な位置である廊下の辻に設置される。
廊下というのも魔的な空間である。さっきも書いたように立ち止まるということが想定されていない。そこで何かをする場ではなく、通過する場である。この場合は機能のある場から機能のある場へと移動する、気分を転調させる空間であり、通行する者を変身させる場としての機能があるのだ。その中間の場である廊下は曖昧で何かから何かになる途中の中途半端な場所としてあり、中途半端なものは機能を発揮できず、妖怪的な印象を喚起する。
反対に庭に面した廊下は、その外光を受けることで魔を払っているともいえるだろう。ここでは腰かけて庭を眺めることもできる縁側の機能も有しているのだ。
6.まとまらないがまとめ
以上のように、家の間取りには思想が現れ、世界観が現れているものだ。図の左下に行くほど(トイレはともかく)聖の空間になる。庭はある意味浄土の光景だ。応接間では時間を忘れて主人との話に花を咲かせることができる。それは物理的に手前の空間が外界の音を遮蔽するのでもある。廊下の直線上の生活空間は奥へ行くほど下に降りていく。台所は少し暗く、脱衣所風呂場は最も暗い。ふっと思い出すのは日本の神話において食物の神(オオゲツヒメやウケモチ)は見るなの神話類型である。炊事は一般に公開されない神秘的な隠れた場として機能していたのかななどと思う。
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