今昔の身体
日本では戦後に入るまでは、いや戦後にあっても土地と人とのつながりは薄れていなかったように思う。高度成長期以後、道具は商品となって工場生産が手作りや作り合いに台頭していったことだろうと想像する。
身体の技法はそのときどきの物との関係のなかで形成される。
宮崎駿は若いアニメータに運動描写を教えようと餅つきをさせたそうだ。そこで宮崎は若い者が餅つきのひとつもできないことに愕然としたという。このエピソードを紹介して押井守は「そんなことも分かっていなかったのか、とっくにそうなってるんだ」と宮崎に返答したことを語った。攻殻機動隊を制作したころのインタビューだったと思う。
前時代を知っている者にとって、餅つきひとつできない現代人を喪失として捉える。少なくとも自然に捉えればそうなるだろう。宮崎の落胆も否があるとはいえない。その上で、押井がいう「餅つきの身のこなしを今の若者は忘れてしまった。それはもうそうなんだ。ただ、彼らはサイボーグの肉体が着地したときにどう地面が跳ね上がるかというのを描けている」
昔を優位に語ってしまうのは落ち度のある語りだ。餅つきができなくても、餅つきという昔にアドバンテージのある身体技法に限定されなければ発揮できる身体技法をもっているというわけで、押井はそれを言っているのだろう。