北海道フィールドワーク日記 その4
3月の半ば、まだ冬が続いている北海道に調査に出かけた。その調査の裏側・・・起きた出来事、経験したこと、思ったことなどを淡々とまとめていこうと思う。
3月17日 ウポポイへ
この日は雨が降っていたと思う。この日の目的地は、白老にある民族共生象徴空間「ウポポイ」である。「ウポポイ」は国立アイヌ民族博物館をはじめ、アイヌの伝統工芸を体験したり、古式舞踊などを鑑賞したりすることができる施設が揃う空間だ。「ウポポイ」の中には、湖のポロト湖があり、湖に沿うように道が整備されていて、博物館の二階から湖を展望できる様になっている。もともと、ここにはポロトコタン(コタンはアイヌ語で集落という意味)があったが、2020年にウポポイが誕生している。
さて、そんなウポポイであるが、とある理由でアクセスで少々頭を悩ませることがあった。そう、それはJR北海道の3月16日のダイヤ改正である。前回も述べたように、「とかち」、「おおぞら」、「すずらん」、「北斗」の4つの特急列車が全車指定席化された。だが、苫小牧からは普通列車で行けるからと考えていたため、この影響は最小限だと考えていた。しかし、ウポポイの開門にあわせて白老に行こうとすると、8時台の列車に乗ることになる。そこからが、誤算だった。なんと、その時間帯の苫小牧から白老方面に行く列車は、特急しかなかったのである。つまり、運賃に特急料金がかかってしまう。寒い懐事情なのに、この出費は痛手だ。そのことを全く考えていなかったため、出発時間を少し遅らせようかと考えた。しかし、ウポポイは広く、ゆっくりと展示や舞踊のステージを観たい。だから、しかたなく特急料金を払い、特急に乗車して開門時間に合わせて白老に行くことにした。そして、また問題が発生する。なんと、特急に乗るための指定席券と座席未指定券の値段が一緒であることが判明した。座席未指定券とは、空いている指定席に座ることができ、もし席が空いていなかったら、立ち席で特急に乗車することができるチケットである。しかし、必ず座れるという保障が無いのに、指定席券と座席未指定券は同じ値段なのである。正直、券売機で切符を買う時は、こんなおかしな話はないと非常に驚いてしまった。
しかたなく、室蘭方面の特急である「すずらん」乗車して、白老に向かった。駅からウポポイに通ずる道を歩いている時は、人影を見かけることが無く、日曜日の朝らしい雰囲気を味わった。やがて、ウポポイに到着し、エントランスの迷路のような通路を抜け、入場口に向かう。そして、入場チケットを購入し、開門時間になるのを待つ。
時計の針が9時を回り、入場ゲートが開いた。私が最初に向かったのは、国立アイヌ民族博物館である。ここの2階には展示室があり、様々なアイヌの道具や神具、楽器などが展示されており、アイヌの歴史を学べるコーナーもある。いざ、展示室に入ると、入り口すぐのところには、サークル状にいくつかのガラスケースが配置されており、そこでは着物や狩猟道具、民具などが展示されている。ガラスケースはどの角度からも見えるように、ほぼ完全に透明になっており、それらを多角的に観察することができた。そのため、時間をかけてじっくりと展示物を見ることができた。アイヌの着物は刺繍が入っているが、刺繍の入れ方にはいくつかタイプがあるようである。着物の上に布を置き、その上から刺繍をするものや生地に直接刺繍するものなどがあるそうだ。入口から見て左側には、イナウやイクパスイといった儀式において大切なものが展示されている。イクパスイはカムイにトノトを捧げるときに使うものだが、地域によってイクパスイの形状に差異があるようだ。また、イナウはカムイへの供物になるものであるが、こちらも様々な種類があるようである。そして、同じく左側の奥では、アイヌの楽器が展示されている。また、映像資料もあり、ムックリの演奏やアイヌの歌を目だけではなく耳でも学ぶことができる。そして、その反対側には、近現代を生きるアイヌの方々の展示があった。その中には、俳優の宇梶剛士さんや、現在の飯田線の建設に尽力した川村カ子トさんなどに関するものの展示もあった。アイヌの人々は現在の社会の一構成員として、道内外で様々な仕事をして生活している。だからこそ、「アイヌはもういない。」などという存在を否定する差別発言をしてはいけないと思うし、それを許してはいけないとも思う。一つ一つの展示を見ていくと、あっという間に時間は過ぎていった。ふとした時に時計を見て、お昼ぐらいになっていた時は少々びっくりしたほどだ。それだけ、真剣に展示に見入っていたということであろう。
この国立アイヌ民族博物館には、アイヌの歴史に関する展示もある。その展示は、先史時代から現代にいたるまでの過程の展示物で構成されており、当然、明治政府が行った文化の禁止といった弾圧の歴史も紹介されている。鮭の漁業や伝統的狩猟の禁止、さらには戦争への参加など様々な出来事が記されている。私は民族でいうと和民族に当たるが、これは日本のマジョリティに該当し、北海道開拓の中心にいた存在である。そのため、私はこれらの弾圧・加害の歴史を忘れないようにして、その歴史に対する反省と批判をする態度を持ち続けていく。
お昼はウポポイ内の飲食店で、オハウを食べようと考えていた。オハウとは、鮭や鹿肉などに野菜や山菜を併せて煮込み、昆布や塩で味付けをしたアイヌ料理の汁物である。そのオハウを食べたかったので、それを提供しているお店を探した。だが、残念ながら、そのお店のオハウは売り切れてしまっていて、食べることは叶わなかった。そこで、近くのフードコートに入り、
ギョウジャニンニクがトッピングされた味噌ラーメンを食べることにした。ラーメンの上にギョウジャニンニクが二本のっていて、思う存分ギョウジャニンニクを味わうことができた。ギョウジャニンニクはアイヌ語でプクサといい、山菜の一種で、味はニラに近い。だから、ラーメンによく合うのだと思う。
午後はアイヌ古式舞踊と3月16日・17日の二日間で特別に公演されていた台湾原住民族の舞踊ステージを鑑賞した。アイヌ古式舞踊は、これまで何度も鑑賞したことがあるが、初めて「イオマンテ リㇺセ」という踊りを鑑賞した。「イオマンテ リㇺセ」は男性と女性が共に輪踊りをする曲であり、演目の最後に踊られていた。アイヌの歌や踊りは地域によって違うことが多く、その地域の舞踊のステージを鑑賞することで、様々な曲に触れられると思う。また、台湾原住民族の踊りや歌は今まで鑑賞したことがなく、貴重な機会だと感じた。実際、ステージが行われるホールは人であふれていた。というのも、ウポポイの舞踊のステージを鑑賞するには整理券が必要なのであるが、その整理券が全て配布されているのではないかと思うぐらい、足を運ぶ人が多かった。そして、ステージの最後には、出演者と観客が一緒に踊るということもあった。私は観客席からその模様を見ていたが、あとから、その場に参加すればよかったと思った。また、終演後は出演者と歓談したり、写真撮影ができたりする瞬間があった。そこでも、出演者の方に感想を伝えればよかったと後悔をした。
ここウポポイは、アイヌ語が公用語の一つである。そのため、園内ですれ違う職員の方は、「イランカラㇷ゚テ」(アイヌ語でこんにちは)、「イヤイライケレ」(アイヌ語でありがとう)といった挨拶をする。また、トゥレッポんのお見送りボードもアイヌ語で、「また会いましょう。」という意味の「スイウヌカㇻアンロ」が書かれている。このように、園内では様々な場面で、アイヌ語を見聞きすることができる。
ウポポイの在り方には、様々な意見があると思う。私自身も、今後、ウポポイが単なる観光施設にならないでほしいと思う。なぜなら、そうなってしまうと、現状に残るアイヌへの差別について、多くの人々が考えることに繋がらないからだ。そして、ウポポイに対して、誹謗中傷という言葉では収まりきらないほどひどい言葉を放つものをいる。残念なことに、現職の国会議員がそれを助長することもあった。これらは断じて容認することができない。だから、私はウポポイに対してそのような発言をしたり、それを助長したりすることを断じて認めない。そして、ウポポイに対する様々な意見を見聞きし、よりウポポイに対する批判的思考を深めていきたいと思う。また、ウポポイがより良い方向に行くように考えていきたい。そのためにも、何度でもこの地に足を運ぶことが必要だと思う。
この日は17時の閉園近くまでウポポイに滞在したのだが、雨が強く、帰るのも一苦労だった。というのも、17時台には苫小牧の方に行く普通列車がなく、次の普通列車は18時台だからだ。しかし、天候が悪かったため、苫小牧に早めに帰った方がいいと判断したため、行きと同様に「すずらん」に乗車した。結局、往復で1500円以上の予算外の出費となってしまった。JR北海道よ、今すぐにでも座席未指定席券を値下げしてくれと願うばかりである。(続く)