個展『hyperlife』H30.10/22~27@ギャラリー白(はく)
個展『hyperlife』H30.10/22~27@ギャラリー白(はく)
命があるとしたら、それは何処にあるのだろうか。
今ここにいる私自身は生きていると言わざるを得ない。しかし、
私に呼び出された者たちは、何者だと言えば良いだろうか。
自宅、職場、それら日常を包含する都市の空間において、私は生物に似たものを見出す。直接に視界から掬い上げることもあれば、撮り溜めた映像同士をぶつけることで偶然生成されることもある。或いは明らかな期待を以って像を組み合わせる時もある。
そうして彼らの姿を集めてきた。
80年代生まれの私が搭載する“ゲーム脳”から呼び出された、サブカルの産物かもしれない。もっと昔に夢中になった図鑑や水族館の記憶かもしれない。都市自体が抱えるデザインの澱みかもしれない。それらが混線しているせいかもしれない。かもしれない。かもしれない。
全ては憶測であり全てが動機だ。
言葉を厳密にしようとしても彼らがここに来た理由は判然としない。便宜上「彼ら」と呼んでいるが性差はない。生存・増殖方法は不明だ。適切な呼び名、代名詞にすら迷う。知性や主観があるかもしれない。私たちを超えているかもしれない。かもしれない。かもしれない。
つまり彼らは誰の管理の下にもいない。
私は命にかわって命のようなものを呼び出す。それは私たちが永遠に支配できず理解も及ばないという存在だ。これを私は「hyperlife」(超生命)とてきとうに名付けた。モノとしてはそこになく、生物としては存続できず、幻にしては濃厚で、私的な妄想とも断定できない。
彼らはたぶん人類に関心がない。人間を置き去りにして、独自の生態系を築き上げている。AIが凶暴化したら。VRが体を手に入れれば。人工生命が自己増殖したら。多様性が爆発すれば。世界がもっと自由になったら。未来がもっと凄まじくなれば。たら・れば。たら・れば。
全ては期待であり全てが動機だ。
これもまた一つの命だろうか。
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