お猫様の喉仏
セピアさんの略式葬儀をした
セピアさんの記事を書いたあと、
11月10日 16:30にとても静かに召された。
背中側にはずっと
いつものように富士子さんがピッタリと添い寝してくれてて、私は向かいあって添い寝しながらずーっと撫でていた。
最期まで苦しむことも無く、長く伸びをしたあと、大きな息を数回し、セピアの時間は止まった。
いつも堂々としていて、大きくて、ふくよかな体が愛らしかったけセピアさん。
最後はゴツゴツした背骨や肋のわかる体を撫で回し何度もありがとうを伝えた。
出会って16年。
我が家に突然現れた野良子猫だった。
富士子さんの母と姉妹と思われる猫がどこかで産んで連れてきたらしい。
割と育って現れたから、
本当の年齢はもう少し上だと思う。
(富士子さんはもっと上)
他の猫達が「鼻チョン」の挨拶に来る。
しばらくセピアの匂いを嗅いで、鼻チョンした後に
何事もないようにその場を立ち去る。
動物同士の死の概念がどういう事なのか、私には分からないけれど、後輩猫たちは、そこにいるのがセピアだと認識していないようだった。
富士子さんだけはちゃんと分かっているようで、息が無くなったセピアさんの傍には近づこうとしなくなった。
距離を置いた所から香箱座りでじっとセピアを見つめるだけだった。
綺麗に整えたセピアのお気に入りのベットに寝かせてあげて、白い布を掛けて、その夜はお通夜とまでは呼べないけれど、1番よく居た場所に安置した。
家族が来て、セピアにお別れをした。
夜中に富士子が何度もセピアの匂いを嗅ぎにいっては私のところに甘えに来た。
うんうん。富士子も悲しいんだよね。
同じ気持ちだよ。
悲しいし、寂しいね。。
翌日の夕方に火葬に向かった。
そこは昔から近隣の人がお参りに行く山にある神社みたいな場所で、葬儀、火葬、納骨までできる所だ。
予め、何かあった時の為に調べておいた所だった。
セピアに花を添え、大好きだったチュールを入れた箱を後部座席に乗せ1人で連れていこうとしていると、ちょうど、父の49日まで毎日、父にお経をあげに来てくれる叔母が私を哀れんでくれて、付き添ってくれる事になった。
「あんた1人でなんでん悲か思いせんちゃよか。おばちゃんが一緒に来ちゃるけん。あんたが可哀想でおばちゃん、涙のでる」
泣きながら私を抱き寄せて、もう、私の方が随分と背も高いのに頭を撫でてくれるから、急に私も、涙が溢れた。
ほんとに。
悲しいよ。
とてつもなく悲しくて。
家族が1人と1匹、急に居なくなってしまった。
世の中にはもっと悲しい人もいるだろうし、私なんて長く一緒に過ごせて幸せなんだとも思う。
だけど、こればっかりは。
今まで愛していたものが消えてしまう怖さ。
心づもりは多少なりできていたけど。
愛別離苦。
当たり前って、ほんと、当たり前じゃない事で、
これは経験しないと身に染みないのだと思った
父やセピアの話をしながら2人とも泣いて葬儀場までの山道を登った。
葬儀場に着くと、係の人がとても大切に引き取って下さって、その際に、名前や、どんな性格だったかなど、セピアの思い出を引き出してくれるから思い出しながら少し笑ったり大切な思い出を吐き出せた。
略式の葬儀は、略式と言えど、きちんとしていて
さっき、セピアがどんなお猫様だったのか尋ねてくれた話からナレーションを読み上げてくれた。
私の口から話すのと、人からこうだったよね、って話してもらうのってこんなに心が動くのか。
ナレーションを聞いていると、涙がこみ上げてとまらなくなってしまった。
合掌のあと、しばらく係の人が席を外し、最後の時間をくれる。
叔母に至っては私が猫を大切にしている事をよく知っていても、セピアさんには会ったこともない。
なのに私より号泣していて、それがなんだか笑えて。
泣き笑いながらセピアさんにお別れをした。
火葬
火葬には1時間ほどかかり、呼ばれた時にはもう、
セピアの姿はなく、セピアの遺骨がきちんと猫型にならべられていた。
骨になってもなお、とても可愛かった。
爪も歯も残っていて、どれもが小さい。
セピアさんはしっぽがゼンマイみたいに丸まって、カギしっぽだったのだけど、きちんと伸ばして並べられていた。
本当はこんなに長かったんだね。
しっぽの先の骨は爪楊枝の先ほど細く、やっぱり可愛くて、あぁ、持って帰りたいと思った。
骨になってもなお、ほんとに、とてつもなく可愛い。
(大事な事は2回言う)
全ての骨を骨壷に収めた。
叔母は私が可哀想だとまだ、ずっと泣いてくれていて、会ったこともない猫の骨拾いまで一緒にしてくれた。
最後に「喉仏の骨」を収める。
父の火葬は立ち会えなかった。
父が焼かれる釜に入っていくのを見届ける自信がなかったから。
だから、喉仏をみるのは初めてだった。
なんだ、この骨は!
喉仏って・・・
猫の喉仏って・・
仏と呼ばれるだけあって、本当に人が合掌した姿にみえる!
猫の喉仏なのに人型なのね!
と、変な好奇心が発動し、感動した。
最も尊いと呼ばれるその骨を可愛い可愛い頭蓋骨の上に置いて、全ての儀式が終わった。
たくさん、泣いて、祈って、感謝した。
お葬式って、亡くなった人のためでは無くて、
残された者のためにあるんだろうね。
残された者がこの先も自分の人生を全うするために、一区切り付けるための儀式なんだと思う。
じゃないと、大切な者を亡くした心を抱えたまま
この先どれほどあるか分からない時間を生きるのはあまりにも辛い。
悲しいままでは、味もしないし、色も見えない。
楽しくもない。
だからお葬式をして、きちんと泣いて、偲んで、
悲しいと感じる私自身を葬ら無ければならないのだとおもった。
きっと今ごろ、あちらの世界では・・
父に懐かなかったセピアさんだけど、
猫が大好きな父に見つかり、捕まって撫で回されているんだろう。
迷惑そうに撫でられるセピアとニコニコの父が目に浮かぶ。
どうか、あちらで仲良くなって欲しい。