赤襟を返す
「赤襟を返す」って聞いた事ありますか?
花魁さんや、遊女の着物の下前の襟が折り返されていて、
赤い裏地(紅絹裏)が見えるようにしてある「返し襟」という着付け方法の事です。
前々から気になっていたこの着付け方の理由。
少し調べてみたらいろんな歴史も絡んでいて、ちょっと面白いんです。
何故か、そうするのか…というと、諸説あるようで
緋色が天然痘などからの厄除けになるとか、遊女の証であるとか
よく見かける説は島原の太夫が始めた着方だという事。
「京都島原の太夫は五位の位を与えられており、五位の色である赤を身につけていることを示すためわざと半衿をひっくり返して緋色を見せている」
のだと。
太夫と花魁は全く別のもので、太夫にはプライドがあったのではないか?と言われています。
花魁と太夫
花魁と太夫は同じように思うけど実は別物なんです。
<花魁>
主に吉原の遊女をさし、身体を売って商売をする遊女の中でも容姿に優れ芸事にも秀でた最高遊女の呼称
<太夫>
元は神事や芸能を奉納したりする程の位を持つものであり、後に芸事を提供する舞子、芸子などの職業のなかで、更に最高に高い教養と芸事を兼ね備えた芸妓の最高位の称号をさす。
似ていて非なるこの2つの呼び名。
太夫はもともと京都から、花魁は江戸の遊郭などから始まったものだとされ、後に江戸の花魁たちも芸事に秀でた者は太夫を名乗り始めます。
緋色
これは四位の色に当たり、太夫の与えられていた五位は浅緋色でした。
浅緋色
浅緋色はサーモンピンクに近い色で、「赤襟」とは少し違います。
そこで、更に少し調べてみると、「赤襟を返す」事の意味として、先に述べた諸説はほとんどが後付けされたものではないか、ということが分かりました。
では何故、わざわざ襟をひっくり返して赤い裏地を見せたのか?
当時は赤い色は、神聖な色でした。
昔から信仰されていた赤い色が持つ力はやはり「厄除け」であり、子供の襦袢や褌に赤いものを使ったり、
遊女たちや、客が恐れる病の梅毒などから身を守るために赤い下着(襦袢)を付けていたのだそうです。
そこで、元々、神事などで舞を奉納したりしていた太夫は、神聖な色の緋色を見せることでプライドをアピールする、ファッションだったのではないかと言うことがわかりました。
さらに、昔は白、赤、黒だけでお化粧をしていました。
なので、もしかしたら、
襟元に赤みを挿すことで、「映た」んじゃないでしょうか?
(主観です)
赤襟を返すファッション
元々は太夫だけが襟を返して紅絹裏をみせていたのが、後にいろんな規制にも自由が広かったことで、吉原の花魁達が真似をするようになりました。
島原太夫はファッションリーダーだったんでしょうね。
結局のところ、「コレ!」という、意味は見つからず、やはり諸説あるままなのだけど、「神聖な者」「厄除け」「プライド」としてやっていた事がいつしか「ファッション」として取り入れられたようです。
この、赤襟を返すほかにも、太夫の帯の結び方もちょっとかっこよくて、後に流行っていく事になります。
その話はまた別の記事で書いてみたいと思います。
<おまけ>
花魁はもう、現代では存在しませんが、太夫は実際にいるんです。
島原太夫とは、称号の事であると先に述べたのですが、よって、代々と襲名されていて、今現在は葵太夫という方が京都におられるそうですよ。
綺麗な方です✨✨
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