肺気胸で入院した時の話 高校生編
高校3年生の時、大学2年生の時に自然肺気胸という病気で私は10日間ほど入院をしました。それぞれ右肺、左肺で患いました。
1回目、2回目それぞれ痛い経験をしたのですが、今回は1回目の時の経験について書きます。かなり心の傷が深い出来事なので、正直言うと思い出したくない記憶に当たります。
とはいえ…日記の代わりだと思えば、問題ありません。それでは書きます。
症状が起こるまでの背景について
私は小さい頃から、些細な事で体調を崩していました。
今なら分かるのですが、ストレスに極端に弱くそれが原因で吐き気や腹痛、風邪、胃腸炎を頻繁に繰り返してました。
特に学校にいた時は本当に息苦しく、何度学校へ行くのが嫌になったか…そんな気持ちを全部飲み込んで通ってました。
小学生まで何とかなったのですが、私立の中学・高校に行ってからは1週間に1回は体調を崩してました。毎週保健室に行っては相談してもらってた程です。
余りに頻繁に通うものですから、保健室の先生からは「またなの~?」と呆れられてました。高校では「すみません…」と何故か頭を下げながら、保健室を利用させてもらってました。
終いには「仮病なんじゃないの?」とまで言われるように。私の言葉が嘘なんじゃないかと、疑問を持たれるようになっていきました。
「胸の違和感」を2日放置
2009年9月19日土曜日、夜7時頃の事でした(今でも明確に覚えてる)
部屋でゆっくりしていた時、右胸の辺りにいきなり激痛を覚えました。
痛みだけでなく、呼吸をしても肺が膨らむような感覚がなかったです。寧ろ呼吸が思うように出来ず、これはまずいと思って両親に相談しました。
が、病院へ行こうということにはなりませんでした。夜が遅かった事もあり、この日は何とか痛みをこらえつつ寝ることになりました。
日曜日になりましたが、当時は近くの病院が全て休みだったので、とにかく痛みをこらえていました。
本当に痛いんだという事を何度か話しても、病院へ連れて行ってはくれませんでした。高校生なので自分で病院に行ってもよかったのですが、そんな余力がない位の痛みに襲われました。
結局この日も病院へは行かず、この痛みと苦しさを抱えたまま学校へ向かうことになりました。
学校へ行っても、授業には全く集中できませんでした。
流石に辛くなって、3時間目の休み時間終了時に保健室へ行って事の経緯を説明しました。すると先生からこんな発言をされました。
「また仮病なんじゃないの?だって見た目けろっとしてるじゃない」
……この言葉は私のトラウマ、PTSDと化してます。
これまで本当に体調を崩しっぱなしなのに…本当の事なのに、どうして理解されないんだろうと、私はこれまでにない悲しみを覚えました。
もうここには頼れない…そう思って保健室を出ようとした際に、物理の先生がたまたまやってきました。
「お前は体弱いからな…大丈夫。気の持ちようだ。そんなに心配することないって」
若くて元気な先生で、先生なりに元気づけてくれていたみたいですが、この時の自分にはいい意味に捉える余裕はなかったですね…
教室に戻った後は残りの授業も何とかこなして、1日を終えました。
体調悪化→病院→強制入院へ
翌朝、私は自力で起き上がれなくなっていました。
いつもより起きるのが遅い事を心配した母がやってきたのですが、ここでようやく私の状態の酷さを理解してくれました。
私はすぐさま近くの診療所へ。診療後にそのまま学校へ行くつもりだったので、一通りの荷物一式を持っていきました。
病院内でレントゲン検査を行った所、肺の中に空気が一切ないという状態だったことを知りました。ここで初めて「肺気胸」という症状について耳にしましたね。
風船が破れて空気が抜けるのと同じように、肺の膜が破れて空気が漏れ出してしまい、呼吸をしても空気が貯められず苦しくなるという症状。
放置しておくと他の器官を圧迫して、最悪死に至る事もあると聞かされました。私はこんな恐ろしい状態を、2日も放置していたのです。
診療所では処置が出来ないので大病院に搬送されて、そのまま緊急手術を受けました。肺の中に管が刺さる時の違和感は今でも忘れられない…うぇ…
そしてそのまま入院することに。もう学校へ行くどころの話ではなかったんですね。
母親はずっと「気づかなくてごめんなさい」と謝ってました。正直、その言葉は当時の私には届いてなかったです。
人が信じられなくなってました。信じられるのは自分の感覚だけ、そういう思い込みが激しくなったじきでしたね…
最初1週間入院していたのですが、最初の処置では完全に治らなかったため、病院を移して手術で塞ぐことに決まりました。
手術は無事に終わりましたが、痛みがきつくて定期的に麻酔による処置をしてもらい、約2週間ほどで退院しました。
退院後の私の心理変化
この入院の経験は、私の心に大きな歪みを与えることになりました。
学校で友達と話しても、これまでの様に「心から笑う」という行為が出来なくなりました。表面的な笑顔といいますか、ただその場を取り繕うだけの顔を向けるので精一杯。
保健室の先生にも確かに恨みはありましたが、もう考えることも放棄していました。表向きの「お世話になりました」を最後の言葉とし、保健室の利用はやめることに。
物理の先生も「あの時は悪かった。軽い言葉投げかけてごめんな」と謝ってくれましたが…当時の闇落ちした自分には「そうですか」位の気持ちしか抱かなかったです。
周囲の友達には悟られないように、一応今まで通りの顔で接してました。
(集団生活が苦しい…早く一人になりたい…)
これ以降、私は友達が出来ても「自分の事なんでどうでもいいんだろう」という気持ちを持ちながら接してきましたね…ほんと荒んでました。
今はその心の傷も程々に晴れ、前と同じように接しています。
一人暮らしをしている間に、自分の中の闇と向き合ってきたおかげでしょうか。辛いことだらけだったけど、今は「赦す」事が出来るようになりました。
ここまで書いて見て、「頑張ってきたな」って自分でも思います。
今は、私と接してくれる人をとても大切にしています。
時には距離を置いてしまう事もあるんですが、よければこれからも仲良くし下さると助かります。よろしくお願いします。