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#KuToo運動に対する小言

男女平等に関して興味あるせいか、本当にそうなのか?と考えるようになった。

少し前から現在まで、MeToo運動、というものが興ったが、それにあやかったKuToo運動というものもTwitterで目にした。

MeTooについては世界中で議論されており、ジェンダーについては自分も勉強不足であることからここでの言及は避けようと思う。

MeTooもKuTooも、そもそも「なんで女性の声だけは大きいのだろうか?」

男性がスカートをはくのはダメなのか?skirtoo運動なんてあってもいい気がする。ズボンより足が動きやすそうだし、夏は涼しそうだから。


こんなことを望む男性はほとんどいないが、仮に望む人が声を上げたらどうだろう。キモイからダメ?キモイかどうかではく権利が決められてしまうのか。
これを学問の一つと見るなら、しょぼすぎる。

自由を求める行動は必要である。しかし、伝統にも伝統であるゆえんがある。それが今の価値観に合わないものだとしても。

男性はスラックスで女性はスカートなのはなぜか。
イスラム女性がチャドルを身につけ、男性はカンドゥーラを身につけるのはなぜか。

伝統を打破することは、その背景も打破することである。それによってどんな新たな問題が発生するのか、そこに孕んだ問題は何かを考えないと、結局誰も喜ばないなんてことにもなりかねない。

東洋の極悪帝国、大日本帝国を倒して安心したと思ったら、実は裏で対峙していたソビエトとぶつかることになってしまい、世界中のあらゆるところと戦って疲弊してしまったアメリカのようになってしまってはどうなのか、ということだ。

個人的に、パンプス履くべきかどうかは全く気にしないけど。

P.S KuTooに対してSNSで誹謗中傷が飛び交っているというが、それでは何も解決しないんだよなあ。それだから、「男は悪」みたいな風潮がはびこってしまうということに気づいてほしい今日この頃。

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