数学の教科書の不親切
昔から思っていたこと。
「なぜ数学の教科書に解答過程がないのか?」
数学の教科書は、大体が
定義→定義の証明→例題→問題、章末問題
のように単元ごと書かれている。
まず定義を示し、それについての複雑怪奇な証明がなされ、例題→問題へと続く。
証明や例題は、モノによってはページをまたぐほど丁寧に説明されるが、章末問題になると途端にシンプルになる。1行で書かれた問題がいくつか並べられるだけだ。
授業中や自習のときはこの問題を解いて勉強することになるが、いざ問題を解き終えて、答え合わせをしようとする。しかし間違えてしまうことはよくある。そのときどうする?解説がないから何が違うのかわからないのだが!?
数学が苦手だった人なら経験したことがあると思う。ひどいときには答えすら書かれていない、解きっぱなしならぬ「問題出しっぱなし」もある。
これはあまりにも不親切だし、学習効率も落ちるのではと思うのだ。
おそらく、教科書作成者は、授業を理解すれば全部解けるはずだし、わからないなら質問すればいいと考えているかもしれない。それは真っ当な意見にも思える。
しかし、間違いといっても様々なレベルの間違いがある。過程は合ってるが単純に計算ミスしているのか、過程がずれているのか、そもそも方針がたてられないのか。それらによって理解すべきポイントが違うのだが、過程がなければ何もわからない。
何が間違っているのかを見つけるのも勉強だといえば、それまでだ。たしかに実社会においては、間違いを見つけるということは大切な能力となる。しかし、それを示すために答えだけ載せる(あるいは答えすら載せない)のは、あまりにも酷だと思う。それじゃあ数学嫌いが増えるのも無理はない。
そもそも、自分で絶対に間違い探しをしない、受動的な人間は誰かに答えを教えてもらおうとする。結局は自分で考えることをしない。解いた直後にわかることを、わざわざ人を探して聞いたり、塾や予備校にいったりして確認するだけだ。ただの無駄ではないか。
教科書に解き方を載せてしまうと、授業で解説する意味がなくなる、課題として使えない、という理由について。巻末の解法ごときに負ける解説なら、先生はいらない。授業をなくして自習にすべきだ。
課題にできない、とするならば、教科書にかかれた問題とは別のところから引っ張って出題すればいい。専門科目の先生ならばそれくらいは持ってるはずだ。そもそもテストは教科書から出すわけないんだし。
教科書に載せるコストを抑える目的があるなら、考え直してほしい。教科書のページの大半はその単元についての説明で、問題の解説を載せても意外とページ数は割かない。ページが多くなりそうなら文字を小さくしたりページを分割したりして詰め込めばいい。
問題を作成する時点で、裏取りはできているのだから、新たに検証したりする手間はなく、ただ解いた過程を載せるだけだ。紙の値段がもったいない?和紙で作られた教科書でしょうか?(笑)
考えられる理由として、「そもそも必要がない」「載せない方が人生のためになる」「授業の進行上載せられない」「載せるコストがもったいない」を挙げてきたが、それらについて反論してきた。教科書作りに関しては、もう少し考えてほしいと思う。
困ったことに大学の教授も同じことをするんですよねえ。解説のない、えらく高くて古い教科書をわざわざ指定させる。図書館にいって調べればそれよりも丁寧で良心的な参考書がたくさんあるのに。そうやって教授としての権威づけをしようとしているのだろうか。あまりに無駄だと思う。
大学の教科書については、また別の記事にしようと思う。
結局のところ、教科書を市販の参考書にすればいいという話なのだが、高校までは教科書は文部科学省の検定を必要としているもので、参考書とはまた別のものであるから、こういった作り方の違いを生み出しているのかもしれない。ただ、大学で同じことをされると腹がたつ。
ああ、これが言いたかったのかもしれない…