「ちょどフェス」訪問記──"循環する多様性"に向けて
地球温暖化のラディカルな波を感じざるをえない酷暑的な雰囲気ただよう日曜日、石巻の真野地区にオープンしたアートスペースDAISで第一回「ちょどフェス」が開催されました。
「ちょどフェス」は野外パフォーマンスを中心に展示や多国籍料理の提供も行う地域アートイベント。「ちょど」は「ちっともじっとしていないんです」という意味の「さっぱりちょどすてねんだおん」という石巻の方言から来ています。日常生活の様々なルールで抑えつけられていたエネルギーがいままさに爆発せんとするような力強さを感じさせますね。一箇所に腰を落ち着ける安定志向の対極という感じで、深読みすれば、コロナ以後のモビリティ(移動性)が再考される時代を象徴しているとも言えそうです。
■「ちょどフェス」WEB
とにもかくにも、「石巻DAIS訪問記」に引き続き、今回は「循環する多様性」のテーマで開催された「ちょどフェス」訪問記を曖昧な記憶の糸を手繰り寄せながらふわっとレポートしていきたいと思います!
■石巻DAIS訪問記
1.東京→石巻DAIS
7月2日(土)23時00分。夜行バスに飛び乗った私は、6時間ほど揺られて朝の5時半ごろ仙台駅に着。
石巻行きの電車始発は6時40分だったので、1時間ほど時間を持て余したのち、仙台東北ラインに運ばれて、7時40分には石巻駅に到着。「ちょどフェス」には国際的なパフォーマンスプラットフォーム/コレクティブ〈Responding〉も出演することになっていまして、私もいわばどちらかというとその関係者の一人ということで、早朝からRespondingのメンバーが自家用車で迎えに来てくれました。
その後は──いつもそうなのですが──なにもわからなまま後部座席に乗車し、流れに身を任せていると、なにか漁港の方に移動しているようで、着いた先は──
全自動ターボ製氷機コイン販売所。
コインを入れるとこんな感じに氷が出てくる!
地元の方は見慣れたものかもしれませんが、わたくし、地味に感動いたしまして、だからなんだということもないんですけど、そんなワクワクを引き連れて、とりま一同、吉野家へGO! 朝牛な定食を済ませて車に乗り込み、いよいよ真野地区へ!
快晴の広がる真野の風景をひたすら進んでいきましたら、「ほらあそこだよ、見てごらん」とうながされたので見てみると、ところどころに「ちょどフェス」の旗が…! 旗まで出してすごいじゃないかと思っていた
ら、──着いた!!!
2.「ちょどフェス」が始まるまで
すでに朝早くから「ちょどフェス」参加者のみなさんが会場設営を始めていたようです。すこしばかり会場の様子を覗いてみましょう。
DAISには、寝泊まりができる本館のような建物と、「遠足プロジェクト」の展示のための"離れ"のような建物があります。今回、そちらの"離れ"では「遠足プロジェクト」のランドセルアートに加えて、障害を持った子どもたちの制作した作品が展示されていました。
■ランドセルアート
さて、こんなふうに着々と進む会場設営をぼーっと眺めていたら、お客さんもちらほら集まってきた様子。気づけば駐車場代わりのスペースもほぼ満杯。
時計の時刻が午前10時半を回ったところで、(たぶん)司会の方から(たぶん)開会のあいさつがあり、本日の第一プログラム、「サンディ・スタソーマ(バリ舞踏)」のスタートです。ちなみに(たぶん)を多用しているのは、司会っぽい人がこれから2〜3人登場し、開会のあいさつっぽい時間がもう一回あるからなんだけど、それも含めて「ちょどフェス」って感じで◎。
なんなら覚えているうちに、閉会のあいさつに飛びますが、元わらび座の俳優さんで舞台監督の黒田龍夫さんは、みんながバラバラなままで集まることの意義を強調されていて、それは言いかえれば、表現活動のジャンルはもとより、住んでいる地域、仕事、年齢、性別、国籍、民族の違いや、社会にバリアされる障害を抱えているかどうかといったさまざまな差異を柔軟に受け止めることのできる多様性の場所(トポス)を開くことがこのフェスでは──自然に──目指されていた、ということです。そしてそこには(たぶん)に象徴される”ゆるさ”や”ゆらぎ”が必要になる。この点についてはまた最後にもう少し言及しておきたいと思います。
3.「サンディ・スタソーマ」→「日本の歌と踊り」
さて、駆け足になると思いますが、だいたいどんな感じだったのかを見ていきましょう。
「サンディ・スタソーマ」とは「叙事詩『マハーバーラタ』に基づくインドネシア文学の仮面舞踊劇」とのこと。本来であればバリ舞踊の踊り手をインドネシアから宇内原に招待する予定でしたが、コロナ禍の事情もあって断念。そのかわり、(なんと!)オンラインで現地とつないで、ライブ公演のリアルタイム生配信をすることに。促されるまま”離れ”に移動すると、そこには「サンディ・スタソーマ」の題字を映したモニターが…!
最初にバリ舞踊の解説動画が放映され──
Zoom越しの出会いが果たされました…!
途中で音声や映像がやや迷子になったり、もろもろトラブルに見舞われながらもガムランの神妙な音が宇内原の一角に(やや小音で)響き渡りました! ちょっと解説されたバリ舞踊の由来や伝承の詳細は思い出せないのですが、ライブ演奏だけ見せられてもわからないこと、コーディネーターの方と演奏者・教育者の方々との仲良さそうなやりとりが印象的でした。
コーディネーターの方ご自身で言われていましたが、(もちろんさまざまな留保はつけられるでしょうが)「観光化」されたバリ舞踊を一方的に紹介するというのではないスタンスを感じられたということです。おそらくバリ舞踊の研究者の方なのでしょうか、リサーチャー・メディエーターとして、バリ舞踊の未来を担うある種の当事者性ないし「共事者性」が強く感じられました。こうしたかたちの間文化的なアプローチはとても良いなと思いつつ。
次はまた本舞台に戻って「日本の歌と踊り」が始まります! まず豊年太鼓の披露があり、鹿踊り、花笠音頭、ソーラン節、壁塗り甚句、傘踊り、鬼剣舞と東北地方を中心とした伝統舞踊が次々と舞台にあげられました。
そして、ここでおそらく本当の「開会のあいさつ」!!! 石巻DAISの代表・武谷大介の紹介で高橋区長が登場。「来年以降もやってくれると思いますので、みんな楽しみにして長生きしてください」とユーモラスなあいさつが述べられました。
あいさつ終わりでまた次のステージの準備へ。鹿踊り、花笠音頭……と続きます。
花笠音頭。
壁塗り甚句。左官職人の夫婦が壁塗りする身振りを踊りにしたもの。
手相見ショー。流れる音楽に合わせて観客の手相見をして、金運や女難の相についてのアドバイスをしながら最後は陽気に踊ります。楽しい。
鬼剣舞。百姓一揆があったときに、こんな生活では死んでしまうと百姓たちが家々を周り、自分の中の鬼を出して世の中を変えていこうと一致団結したという歴史的な由来があるそうです。
これですべてじゃありませんが、こんな感じで「日本の歌と踊り」が終了!
4.多国籍料理の屋台たち
ここまでで時刻は12時半を回ったところでしょうか。とにかく暑い。私は定期的に頭から水をかぶるという独自の熱中症対策で急場をしのいできましたが、お腹も減ったしというので、DAISの建物内に避難。すると、そこでは、ベトナムの「バインミー・サンドウィッチ」を販売するモモちゃんキッチンがオープンしていました!
外では、シミさんキッチン「バングラディシュのカレー」に行列が!
まっちゃん八百や「おにぎりTHE日本の定番」は完売の模様です!
美味しい食があってこそのフェスだなやっぱり、というのをしみじみ感じました。
5.「RAN*LENO」→「ウクレレちんどんオーケストラ」
舞台では、RAN*LENOのライブ演奏が始まっていました!
続いて、ウクレレちんどんオーケストラ!
なんなんだ、ウクレレちんどんオーケストラって。などと心のツッコミを入れていますと、(私の記録では)「オー・シャンゼリゼ」のざわめく歌声が鳴り響き──
踊った…! 丘の上から駆け下りてきたみなさんが踊りだした…! これこそまさに、ちょどすてねん! ウクレレちんどんオーケストラのさざめく音のウェーブにからだが勝手に動きだしちゃうんです!!! ちなみに、そのころRespondingの面々は…。
冷静。あくまで冷静。どことなく哀愁さえ感じさせるまなざしで、ステージに鋭い目線を送っておりました。こうしておそらく次の出番の英気を養っているのでしょう!
一方、その頃、ステージでは……。
飛んでいた…! シャボン玉が──!!! ざわめきとはかなさと切なさのアトモスフィアなトリプルパンチ! 醸し出されるしあわせの蜃気楼が真野の自然を幻想的に包み込みます。
「だいたい気づいたかも知れないけど、これはけっこう素人やで…」という自虐ネタで観客の笑いを誘っていたウクレレちんどんオーケストラですが、どこかの河原にたまたま集まった面子で「ちょっと曲でも
弾いてみますかひとつ」などと言って自然発生的に生まれてしまったかのような彼/彼女らの音楽は、「お祭り騒ぎ」という形容がよく似合います。さまざまな音色がひとつに調和することなく、その場で即興的に混じり合うさまを体感させるジビエ的な野味。彼/彼女らの素性をわたしは一切知りませんが、それでいいし、それでいいと言える善き無名性の時間がそこを通り過ぎていったと私には思われました。
6.劇団スイミーはまだ旅の途中「注文の多い料理店」
時刻は14時をまわりました。わたしの勝手な区切りですが、中盤戦のラストを飾ったのは劇団「スイミーはまだ旅の途中」。震災後に東京から石巻に移住した都甲マリ子さんが主宰の劇団です。今回は宮沢賢治の童話から「注文の多い料理店」をチョイスして20分程の短編演劇を発表しました。
以前、わたしは座・高円寺という劇場が開設した2年制の演劇学校「劇場創造アカデミー」の4期生として座・高円寺に通っていた経験があるのですが、そこでは宮沢賢治原作の「ふたごの星」や「ピン・ポン」というオリジナルのパフォーマンスが「子供向け」の演劇として毎年上演されていました。私がこれらのレパートリーから学んだのは、「子供向け」の演劇だからこそ、余計な夾雑物なしに演劇的な”遊び心”を立ち上げることができる、ということでした。
宮沢賢治の童話を原作にした今回の上演でも、それらの舞台と共通するにおいを感じた気がします。つまり、演劇的な仕掛けによって劇を立ち上げようとする”遊び心”です。立体絵本的な飛び出す黒猫の舞台装置からは親しみのある愉快な劇空間が生まれます。さらに、近代的なリアリズム演劇からは排除された「黒子」が「黒猫」と比喩的に結びつき、物語を進める上での重要な役割を担っていたのも印象的でした。
7.Responding→てあわせのはら
15時近くなり、タイムスケジュールを大幅に押している気がしないでもないですが、一度始まったからには最後までやり通すしかない! というので、大詰めは「Responding」から「てあわせのはら」に流れ込む「ちょどすてねん」なお時間です!
しかし、待て待て。ここでわたしはレポートするにあたっての致命的な問題と直面せざるをえないのであります。何かの流れで私もこのパフォーマンスに出演することになったので──。
手持ちの写真がほぼまったくない。そしてわたしの記憶力では写真がないとほとんど何も思い出せないのですが、まず、Respondingでは、出演する3人+私に加えて、石巻を拠点に音楽活動をされている四倉由公彦さんが即興演奏で参加されました。
しかしそもそも「Responding」の「パフォーマンスアート」とは一体何をするものなのかまったくの謎に包まれており、事前に団体紹介する司会の方も「謎ですね〜」と言って戸惑われていました。
加えて、四倉さんが手持ちの楽器を舞台前に設営しているときも、Respondingの3名は客席に座り崩さない不動の姿勢…! 結果、四倉さんに「Respondingとは?」という質問が飛ぶことになるのですが、当然、「私も初対面なのでね。わかりませんね」の返答になるわけです! お前ら何なんだという疑問が膨らんでいくなか、それとなく3人+私がステージにあがり──。
この写真を見る限り、村田さんは自分の身体にドローイングをしていったみたいですね。で、私は適当に水を撒いたりしていました。その間、武谷さんが両手で椅子の脚を持って客席に突き進んでいく姿も垣間見られました。そうこうしているうちに、気づけば──
ビニールが蜘蛛の巣のように張り巡らされている…! これは間違いなくゆずるさんの仕業ですね…。パフォーマンスのステージは、土舞台から木々に囲まれた野原の空間全体へと拡張されていき、そこに「てあわせのはら」の面々も加わり、現場はますますカオティックな様相を呈するように。この祝祭性に出演者の方々や子供たちも次第に巻き込まれていったのでした。
それで少しばかり時間を区切った後は、「てあわせのはら」によるダンスの時間。「手合わせ」をしたり、客席のまわりをぐるぐる回ったり、色とりどりの布を手にして踊ってみたり。そのなかで演者と観衆の線引は崩れていき、場の一体感が高まっていきました。締めくくりにふさわしい朗らかな時間が流れていたように思います。
ただ、その裏では、ある惨事も起きていて──
木にビニールが引っかかって取れない。恐ろしいですね。ゆずるさんの張り巡らせた大量のビニールが、人間の手の届かないところまで到達していたのでした…。
8.閉会
全プログラムが無事終了。最後は、黒田龍夫さんより閉会の言葉がありました。〈2〉で先取りして述べたとおり、黒田さんは「バラバラなままで集まる」ことについて話されていました。そして、わたしは(たぶん)に象徴される”ゆるさ”や”ゆらぎ”が「バラバラさ」を可能にするための大切な要素だと指摘しました。
このレポートでも感知していただけるかなと思うのですが、ちょどフェスの運営の仕方は”ゆるさ”を多分に含んでいます。おそらく自然発生的にそうなったのではと推測しますが、それは都市型のアートフェスティバルでは意外に成立しがたいものです。なぜなら、そこではリスク回避の安全性が重視されるからです。
逆に言えば、ちょどフェスの運営は、ありうるかもしれない危険や失敗を予防するための規則あるいは禁止事項でがんじがらめにされていない。とりあえずプログラムが順番通りに進めばOKくらいの”ゆるさ”でグリップされている。
逸脱・失敗・危険・クレームのリスク回避を目指すのは安全性のロジックです。でも、それはあまりにも行き過ぎてしまうと、それを遵守できない活動や人を暗に排除する見えない壁に変わります。そのパフォーマンスはクレームの原因になるからダメ、よその地域の人は何をするかわからないからダメ、途中で司会が変わるのは観客を混乱させるからダメ、熱中症の危険があるから〇〇な人の参加は禁止、のように予防的な「安全性」を理由にした排除のロジック──管理権力の作動──は、いつでももっともらしい顔をしてわたしたちの説得を試みる。けれど、それを過度に気にしてしまうと、「さっぱりちょどすてねんだおん」の活力はどんどん奪われてしまう。
「さっぱりちょどすてねんだおん」=「ちっともじっとしていない」ひとたちは、あまり「安全」とは言えない自分自身を表現し始める人たちだからです。自分を表現すればするほど、人はバラバラになり、何かが起こってしまうリスクは増していく。
けれどもその不安定なバラバラさこそが多様性ではないでしょうか? 多様性(バラバラ)の場所は常に逸脱・失敗・危険をともなう「ちょどすてねん」の魅力を放っている。だから、多様性(バラバラ)の場所には「さっぱりちょどすてねん」な活力を──ちょうどよく──受け止められる”ゆるさ”や”ゆらぎ”が求められるのだと思います。
黒田さんの舞台監督の仕事は、その”ゆるさ”のグリップが絶妙だったと思います。適当に遊ばせておきながら、テントやPAのように夏場の運営に最低限必要なものは用意しておいて見守る。また、途中で「熱中症は急になるからこまめな水分補給を」と注意喚起していたわたしには名もわからぬ方のように、状況を見てさりげなく参加者・来場者のケアをされていた人もいました。
わたしはこうしてゆるく互いを支え合う運営の方式を良きアマチュアリズムと言いたくなります。"ちょどすてねん"を包み込むような良きアマチュアリズム、そしてそれを受け止める真野宇内原のおおらかな自然環境。これらの諸条件が揃った時、「ちょどフェス」は多様性の苗床のような場所になるかもしれない……そんな期待も膨らむ閉会の言葉でした。
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