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アンチをあえてそばに置く
こんばんは。nagisaです。
昨日、都知事選がありましたね。
私は他県民なので投票権はないですが、私の都内に住んでいる友人たち
が参政してくれているといいな~と節に祈っていました。
20代の未来を担う人たちですから、私たちは。
実際には投票したかどうか、なんて聞きませんけどね!
それでいえば、
「もっと若者が参政しろ!」「投票率を挙げろ!」といわれますが、
実体験から、私から見ると難しいと感じます。
なぜ難しいと感じるかというと、
「政治についての授業を受けた記憶があんまりないから」です。
私は中高でオール5をとる程優秀だった学生だと自負しているのですが、
その私ですら、政治や選挙の重要性については学習した記憶がないです。
もちろん、衆議院の議員数とか衆参両院のちがいとかは授業をうけましたが、当時はあくまで試験のためだったと思います。
興味もなかったし。
今はもっと知らなければ!という危機感が強いですね。
まさか18歳を迎えるころには、自分が投票しにいくなんておもっていなかったですから。
何にもわからなかったんですよね…。
だから、私の意見からすると、
今回の都知事選で若者の投票率が低くても、納得しちゃいますね。
個人的な意見なのであしからず。
今日書こうと思ったテーマは、
「アンチをあえてそばに置く」です。
話が飛びますが、私は母親とめちゃくちゃ意見が合いません。(笑)
生まれてから脳は父親譲りです。
今食べたいものが父親とまったく同じだったり、
スーパーによって家に帰ると、父親とまったく同じ買い物をしてるときもあるくらいです。
本当にビビるので、テレパシーとかまじで信じてます、(笑)
それに対して、母親は真逆。
服を探して、私がいいな~って思ったものに母親は全力のいいね!をくれませんし、味覚や思考の傾向も違います。
決して、不仲なわけではないです!!
ですが、
真逆な性質がゆえ、意見の対立やけんかになることもしばしばあります。
母親の言い分が理解できないときもありますし、あきれることも。
こないだも、○○が絶対わるい!と白黒つける母親と、
いや100%○○がわるいわけじゃないでしょ、とグレーを攻める私で、
対立しましたね。(笑)
以前までは、自分が認められない反対意見って、
ストレスたまるし、まじ疲れるわ~っておもっていたんですが、
真正面で意見を言い合うことで、発見ってたくさんあることに気が付きました。
反対の意見も決して悪くないな、と。
意見が対立すると、どうしても自分の意見が正しいんだ!って思いがちなんです。
だけど、自分の意見を聞き、相手の意見を聞いているうちに、
「わたしって、こう思われてるんだ」「こういう意見もあるのか」
と客観的に見れる機会なんだなってことに気づくことができました。
結果として、反対意見があるからこそ、
自分の主観ベースで見れない景色がみれて、いい機会を与えてくれます。
だから、反対意見のアンチは、
自分を客観的に判断してくれる、素敵な存在ですね。
アンチ歓迎です(笑)
もちろん誹謗中傷とは全く別物ですし、区別しなきゃいけませんけど。
その点でいえば、
私は母親という”アンチ”をあえてそばに置いているんだな、と。
そう感じました。
これは、私の経験だけにとどまらず、現代生活に生きるノウハウではないかなと感じます。
最近ではSNSが発達していて、
InstagramやTwitterでは好きな人をフォローすることができますよね。
それに、アカウントの閲覧履歴からおすすめ記事が出る機能も、追加されたりして。
そうすると、限定的になってしまい、主観的な情報、自分と似た情報に偏ってきちゃうんじゃないかな~って思います。
だから、そこであえて自分を客観的にみれる、”アンチ”を置くことも大事なんではないでしょうか。
アンチがいれば、もっと客観的にみれるし、
自身の視野がひろがり、気づきを得れるのではないかな。
そういう気づきがあった日でした!
おわり