家族と電話してホッとする人に憧れていた
目を留めていただきありがとうございます。
面倒な人です。
タイトルの通り、家族と電話してホッとするような関係に憧れてていたものです。
いやぁ、普通の家庭だったはずなんですけどねぇ…。
けど、普通っていうのもなんなんでしょうね。
近年、どんどん、その普通の境界線がなくなっていっていると感じます。
さて。
あれは何年前でしょうか。
私は、半年間、女性しかいない女子校みたいなチームで資料整理の仕事をしていました。
そこは個性豊かにさまざまな女性がいました。その中で仲良くなった同僚は、見るからに明るく健やかで学生時代から付き合っている彼と婚約中でした。
その健やかさな様子の彼女と色々と互いに話しているうちに家族の話になりました。
両親を尊敬していると素直にいう同僚の話を聞いた時、眩しくて眩しくて…非常に影響されました。
その時、そうなんだね、素晴らしいね、と答えていた私の脳内はこうです。
え、そんなこと、考えたこともなかったんですけど…
いや、そりゃそう言いたいけどそんなこと言う家族関係はわたしは分からない…
というか家族は卑下するものではないのか?
そういえば大学の友人も仲よかったな…
文句とか言ってなかったな…
母は「うちなんて〇〇なのよ」(主に下げる)が当たり前で…
母の実家のことを話すときもいつもキリキリした空気を出してて…
そして自分のことしか考えてない自己中の塊のような人で…
話しても自分のみの理論展開をしていくものだから、どんどんズレてく一方で…
とてもそんなことは思えない。
つまり、絶対無理だわ。
と。
けど、すっごく羨ましくて、
やっぱりわたしは、
なぜうちはこんななんだろう、なぜあの人たちはああなんだろう。
怒り怒り怒り悲しみ悲しみ悲しみ…からの絶望のループでした。
今振り返ると、良い悪いの世界に当時のわたしは、どっぷりハマっていました。
相手が悪いか自分が悪いか、のみでした。
大抵どっちかが悪者になっていて本当きつかった。
結局誰かのせいにしてたら自分のせいにもなるんだな、ということ。
当時のわたしには知る由もない法則でした。
つまり、その世界にハマってることすら全く気づいてなんかいませんでしたので
脱け出そうにもさっぱりわからなかったのです。
お世辞や建前からでなく、本当にそんな世界がリアルにあるのだなと知りながらも、ぐるぐるぐるぐるしてました。
そうして、ある時、わたしは、わたしができるなら家族と仲良くしたいのであると自覚して、
その世界から立ち上がった瞬間がありました。
その時のことははっきり覚えています。
そして試行錯誤のアプローチの今。
わたしは母と電話してホッとしている時が確実に増えつつあるのです。
不思議なくらい、変わってしまったのです。
不思議なくらい、あの時のわたしが欲しかった言葉をかけてくれるようになりました。
不思議なくらい、攻める言葉はなくなり、励ましたり、話を聞いてくれるようになりました。
(ほんとに自分が道徳を語るのが大好きな話を聞かない人だったのに!弱気を言おうものなら何を弱気なこと言ってんの!そんなんでどうするのー!!!と聞く耳なしでした。)
その道のりは、決して平易とは言いがたいのですが、やはり、よかったとわたしは思っています。
そのうち、何をしたかとかもまとめてみたいなぁ。
本当、自分がどうしたいか、のみでした。
あの時のわたしへ
間違えてもいいから、その声聞いていこう。
ひとまずここまで。
もしも辛い人がいたら、本当にその気持ちは無駄にならないのだとお伝えしたいなと思います。
分からなくても、ならないみたいなのです。
貴重なお時間の中、お読みくださりありがとうございました。