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誰かのことを想像するということ

「どこまでも続く、終わらないうんていがあればいいのに」


A子ちゃんはそうつぶやいた。


A子ちゃんにとって、この地球は、どういうものなのだろう。


A子ちゃんにとって、日々の生活は、まるで重みを感じないようなものなのかもしれない。


自分の力でそこに立っているとは到底思えないような、そこに重力がなくて浮いているような、そういう感覚を持っているのかもしれない。


だから、うんていをひとつひとつ自分の手でつかむときに感じられる、自分の中の主体性だったり、

手のひらの痛みや、腕の筋肉の疲労から感じられる、自分の体重だったりが、

A子ちゃんに現実世界に生きているという感覚を与えてくれるのかもしれない。




誰かのことを想像するというのは、なかなかに大変なことだと思う。

「こうかもしれない」というところにすぐたどり着けるものではないし、曖昧で確かなものでもないし、捉えたと思ったら次の瞬間にはまた靄のように消え去ってしまうような、そういうものである。

だから、他者から想像してもらえるというのは、すごく幸せなことだと思う。


少し前から注目されているメンタライゼーションという概念は、「心で心を見る」能力と言われているけれど、これも、自分の心を使いながら、相手のことを想像するスキルだろうと思う。

すれ違いの多くは、相手のことを想像しなくなることから始まる。

自分の主観で決めつけて、相手のことを心で想像することをしなくなる時にすれ違う。

「あいつは俺のことを馬鹿にしている」

「この子は全部分かった上で私を困らせようとしてるんです」

「だって今厳しくしとかないと、大人になったときに困るでしょう」


自分の仕事は、誰かのことを真剣に想像することだと思っている。

想像して捉えてみたところで、また次の瞬間には、靄のように消え去ってしまうし、

それを誰かに伝えたところで、わかってくれる人もほとんどいない。

そういう不確かなものを取り扱っているということ。

でも、誰かに想像してもらうということの嬉しさは、たとえ数値に表れないとしても、本来的に誰もが知っている感覚だと思うから、

そして数値に表れるものばかりを追い求めて本当に大切なものが失われるのも悲しいから、

自分はこれからも誰かのことを真剣に想像していきたい。


伝わるかどうかはわからないし、人生をかけて取り組んだところで、きっと全部は伝えらないような気がしているけれど、自分なりに言葉で記述することは、これからも続けていきたいと思う。


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