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服と心〜その5〜

前回までの話

世の中には、

自分の心が服に表れている人と、

自分の心が服に表れていない人がいる。


自分の心が服に表れている人は、

その人がイメージするその人自身(自己イメージ)と、その人が着ている服がぴったりと一致している人であり、

それは服が似合っている人である。


逆に、自分の心が服に表れていない人は、

その人がイメージするその人自身(自己イメージ)と、その人が着ている服が一致していない人であり、

それは服が似合っていない人である。


服が似合っていない人は、その人と服との間に、なんとなくぴったりしていない感じが醸し出され、周囲の人に違和感を感じさせる。

そして、周囲からは「服が似合わない人」という評価がなされる。


服の似合わなさは自分が作っている

他者によってなされる「服が似合わない」という評価。

その「服が似合わない」という言葉で表現されているのは、先に述べたように、その人の自己イメージと服の不一致が醸し出す違和感のことである。

したがって、「服が似合わない」状態は、自分自身が作り出しているものと言える。


まあ、自分が服を選んで着ているのだから、自分が作り出しているのは当然とも言えるのだけれど、

言いたいことは、「服の似合わなさ」は絶対的なものではなく

『今現在「服が似合わない」状態にある』という状態像であるということ。


そしてその「服が似合わない」状態は、自己イメージと服の不一致が違和感を醸し出している状態であるということである。


よって、同じ服を着ていても、「服が似合わない」状態の時もあれば、「服が似合う」状態になる時もあるということ。

その分かれ目は、
今現在の自己イメージが、今現在着ている服と、一致しているか否かということである。



自己イメージはこうして作られる

自己イメージと服の不一致という話をしてきているが、では、自己イメージはどのようにして作られるのか。

それについて次回、書いてみたいと思う。

お時間のある方は是非、よろしくお願いします。



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