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砂が入った箱の中に、自由にミニチュアを並べて、自身の内面を表現する「箱庭療法」というカウンセリングの手法がある。
複数回のセッションの中で、クライエントはカウンセラーに見守られながら、いくつかの箱庭を作る。
作った箱庭から、あるいは箱庭を間に挟んでのカウンセラーとのやりとりから、クライエントは様々な気づきを得る。
そういうものである。
一般的に、箱庭療法は、カウンセラーと1対1で行われる。
最近、集団で1つの箱庭を作るグループ箱庭に触れることがあり、改めてその可能性を感じたため、ここに気づいたことを書き留めておこうと思う。
グループ箱庭自体は、日本でも30年以上前から実践されていることではある。
論文としても、岡田(1991)で、「グループ箱庭療法の試み」として報告されている。
岡田(1991)は、グループ箱庭の中で、クライエントの箱庭制作過程を明らかにすることを目的としている。
グループ箱庭について考察するというよりは、クライエントの箱庭制作過程を明らかにするために、グループで箱庭を作るという手法を採用している。
その後、江田ら(2017)で、スポーツのチームの再建過程にグループ箱庭を採用し、選手間の相互理解やチーム再建にグループ箱庭が寄与したことを報告している。
その他、箱庭療法を体験する取り組みとして、大学の授業や研修会、各地のワークショップなどでも実施されている。
グループ箱庭とは果たしてどういうものなのだろう。
様々な切り口から考えることができるとは思うけれど、自分が実際にグループ箱庭を実施してみて感じたことは、インクルーシブの流れの中に位置付けることができそうだということ。
1対1の箱庭療法は、問題のある個人を社会から抜き出して、カウンセリングを受けさせるという治療モデルに基づいている。治療を受けて、個人の問題が改善したら、再度社会に戻すというモデルである。
グループ箱庭では、複数人のメンバーで一つの箱庭を作る。そうすると、箱庭の中でやりとりや関係性が生まれる。それは、箱庭の中に「社会」ができるということである。参加したメンバーで構築した「社会」が箱庭に可視化される。
メンバーの中には、もしかすると、問題のある個人(正確には、問題があるとされている個人)もいるかもれない。
そんな、問題のある個人がグループ箱庭のメンバーに加わることで、コミュニティ(社会)の中でその人を抱えるという、そのあり方が可視化される。
継続的にグループ箱庭を行うことで、社会が問題のある個人を支えるための方法を模索する、そのツールにもなり得るかもしれないと感じた。
それは、問題のある個人を分断するというやり方ではなく、社会とつながりながら生きる可能性を探る方法を見出すことにつながる。
単に、問題のある個人を、「問題があるから」という理由で排除するのではなく、どのように共生していくかを考える。
問題がある、ない、ということだけでなく、考え方の異なる個人同士が、どのように共生していくかを考える。
そんなツールとして、グループ箱庭は、有効であるように感じた。
この仮説を実証するための取り組みを、今後も継続していきたい。