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外の世界に出ることでの傷つきと気づき
これまで、心理臨床の世界で生きてきた。
クライエントのメリットになるよう、さまざまな職種がそれぞれの専門性を活かして協力するという「多職種連携」をしなさいと叫ばれるようになって久しいけれど、やっぱりうまくいくこともあればうまくいかないこともあった。
「なんでこいつらはこんなに話が伝わらないんだ」とヤキモキすることは少なくなかったけれど、とは言え自分が身を置いていた福祉分野や医療現場では、「クライエントの状態を改善したい」という共通理解はあったわけで、全く別の分野の人たちと話をするようになって、その前提すらも共有できないことに絶望することが多い。
見ているものが違うわけだから、自分と同じものを見なさいと強要するわけにもいかない。
ただ、相手に対してのリスペクトは忘れないようにしたいと思う。
自分が目指したい世界も、いろいろな背景を持った人が、それぞれの背景に想いを馳せながら対話をする中で、新しいものが生まれてくるという世界である。
その時に、声が大きい誰かが、誰かの背景を見ることなしに、自分の考えを押し通そうとするような、そんな動きが出てきた時には、そこにはストップをかけたいと思った。
その場が、「自由で、かつ保護された空間」であるために、その場を提供する大人は、その場の価値観を伝えていく必要はあるのだろうと思う。
こういうことも、心理臨床の世界でだけ生きていたら、気づかなかったことかもしれない。
外の世界に出ることで、傷つくこともあるけれど、そこから気づくこともある。
わざわざ自分から傷つきを求める必要はないとは思うけれど、ワクワクを探して外に冒険に行くと傷つくことはあるし、その傷つきから得られることもあるということ。
でも、一方で、そんな風に外に冒険に行けるのは、中の心理臨床の世界で、安心を育ててくれたからだろうなというのも、忘れないようにしたいと思う。