#2 発達障がいグレーの息子が、大人になった話
発達障害グレー 未確定
現在、社会人として働く息子ですが、これまでに、発達のことで医療機関にかかったことはなく、発達検査等を受けたこともありません。
気付いた時にはもう大人だったので、そういうタイミングがなかったのと、彼自身が「自分は何が出来ないのか」よく理解していたので、今さらそれを誰かに確定してもらう必要もなかった、というのが理由でしょうか。
大人になってわかる発達障がい
今は、大学入学後とか就職後に障がいに気付く、という人も多い時代です。診断を受けることで、楽になる人もいますが、受診せず、そのままなんとかやっていく人もまた多いのではないでしょうか。
どちらが良いという話ではなく、
ただ、どちらにしても、そのことを相談できる人が近くに居ること、それがすごく大事だと思います。
もう大きいから大丈夫と手を離し、一人ぼっちにさせてしまうことが、実はとても危ういことなんだと、後々私も分かることになります。
赤ちゃん時代
少し遡って、息子の赤ちゃん時代のこと振り返ります。
比較的大きく生まれた息子は、3時間毎に母乳をたっぷり飲んでよく寝てくれる、育てやすい子でした。
ただ、1才になる頃には卵や大豆、小麦のアレルギーがあることが分かり、離乳食が限られたものになっていきます。後に、息子の偏食を特におかしいと思わなかったのは、「アレルギーで色々な物を食べさせてあげられなかったから」と考えていたことが理由とも言えます。
超母親っ子
息子は乳幼児期から、とにかく母親依存で、私以外の人間に心を開かない子でした。いわゆる「赤ちゃんの人見知り」とはちょっと違う…
なんというか、そこには大人のような意思の強さがあったように思います。
でも、そう感じていたのは私だけで、周りには「懐かず可愛くない厄介な子」として映り、皆、少し引いて遠巻きに見ているという感じでした。
特に朝や昼寝起きなど、目覚めた時に私が傍にいないのがダメで、毎回、号泣→発狂 でした。
母としてそれほど慕ってもらえることに、愛おしさが増す反面、ほぼ24時間拘束されることには、正直疲弊もしていました。
泣くだけでなく、赤ちゃんなりに怒るのがすごく不思議で、「なんで毎日同じことの繰り返しなのに、慣れてくれないんだろう」と思っていたのを覚えています。
大人になった息子に聞いた話
この頃のことを息子に聞くと…。
「母親はずーっと一緒に居るものだと思ってるから、一人だけ勝手に起きてどこかに行くなんてことが、理解できず許せなかった」
「家事があって忙しいとかは全く考え付かず、『また、おらん!』という、ただただ腹立たしい気持ちだった」
とのこと。
どうやら、こちらが「毎日のことなのになんで?」と思うのに対し、息子は息子で「毎日キレてるのに、いい加減学習しろよ」と思っていたということみたい(笑)
あの頃の息子が発狂していた意味が、初めて分かりました。
ひとつの事しか考えられない
これは、息子が昔の自分を語る時に、よく使う言葉です。理由は
「脳が疲れるから」
単純明快ですが、それが理解されず、長年彼は苦しんできたと言います。
ちなみに、今の息子はもちろん、そんなストーカーのようなことはなく(笑)、当時の自分を客観的に、申し訳なさそうに振り返ります。「ごめんなー。俺、今こんなガキ居ったらぶっ飛ばすわ。」と笑いつつ、
「ただ、その時はそれしか考えられない」「いいも悪いも、その時はそれが全て」と
昔の自分を否定はしないのです。
「母」=「いちばん安全な世界」
「母が居ないと、途端に世界が灰色になった」と息子は言います。逆に、母さえ居ればそこが家だったと言う、彼の見ていた世界はどういったものだったのでしょう。
身の危険に対して、敏感過ぎる特性ゆえの感じ方だったのかもしれません。
でも、「母を絶対的な安全地帯」とするこの感覚が、奇しくもこの後起こる、長く辛い彼の闘病生活を支えることになります。