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病院に行きたくないおばあさんとの死闘①
具合が悪いおばあさん
青森から神奈川に引っ越してきたばかりのおばあさん。環境の変化が影響したのか、引っ越し直後は血圧が180を超えてしまった。高血圧の薬を飲んでいるにもかかわらず、朦朧としたり頭痛が続いたりと散々な状態だったが、それでもおばあさんは「歩くのをやめたら終わりだ」と言わんばかりに頑張って近所を散策していた。私はヒヤヒヤしながらも見守って、おばあさんの体の負担になりそうなことを先回りして取り除いていた。
ところが、一週間ほど経ったある日、突然「足の付け根が腫れて痛い」と言い出した。私はすぐにネットで症状を調べ、「これは鼠径部のヘルニアではないか」と当たりをつけた。
でもこれは所詮素人判断。医師に正式な診断をしてもらえば、適切な対応が受けられるかもしれないし、病状に応じた家での過ごし方アドバイスもあるだろう。
さらに、このまま放っておけば、痛みで歩かなくなって筋肉が衰えてしまう可能性もある。最悪の場合、急に悪化して緊急手術という事態にもなりかねない。どっちも避けたい。
病院はどう? いや大丈夫だよ。という軽いやりとりをしばらく繰り返した後、大きめのショッピングモールで、「痛くなるから車椅子にして欲しい」と言われ、私は正面から強く病院を勧めることにした。
私の身体は私が一番よく知っている
言い募る私に、おばあさんははっきりと「病院に行きたくない」と否定した。
「正月も近いのに、病院に行ってガタガタしたくない」
「特に正月手術だなんて、絶対に嫌だ」
「お父さんだって寝たきりになってからペースメーカーの手術をしたけど、医者は簡単な手術だと言ってたのに、その後とても苦しそうだった。そんな風に苦しんで死にたくない!」
確かにおじいさんの術後は大変そうだった。顔色も真っ青で、死んだように眠り続けて、身体には負担が大きかっただろうと後からみんなで話し合ったものだ。
本人は認知症で手術の可否も判断できなかっただろうこと、その3ヶ月後になくなったことも、「あれって必要だったのか」という気持ちをみんなに残した。
おばあさんの気持ちもわからないでもないかな、と説得されかかった私は、思い切って別のカードをきった。
「でもさー、万が一大変な病気だったらもっと嫌じゃない?」
この一言は、おばあさんのファイヤーに油を注いだっぽかった。
「自分の身体のことは自分が一番よく知っている。これで最悪の状況になるわけがない。お前はネットの情報を鵜呑みにしてるけど、医者だって年寄りの身体なんて分かっていない。だからあんな手術が行われたんだ。しかも大変な病気が、これをきっかけに発見されたらどうしてくれるんだ」
相当なヒートアップ。血圧は急上昇しているはず。これはまずかった。引くしかないと考えて、私は慌てて言を濁した。
「オッケーオッケー。まあそんなにいうならいいよ」
頼りになる助っ人登場!……のはずが?
翌日は、神奈川に住む甥っ子が我が家に遊びに来る日だった。彼は30代後半のナイスガイで、おばあさんの「めごこ(津軽弁で秘蔵っ子の意味)」。おばあさんも彼には甘く、彼もおばあさんの信奉者だ。具合悪そうなおばあさんを気遣って、電車で我が家を訪ねにくる優しい青年だ。ひとしきりおばあさんの用を済ませ、和やかにお茶をすする席で、私は病院の話をもう一度切り出した。
甥っ子は私の意見にすぐに賛成してくれ(やった!)、おばあさんにこう言った。
「おばあちゃん、神奈川の病院は混んでるし、すぐ今週手術なんてことにはならないよ。でも診断を受けておけばお正月安心じゃん。もしなんか病気だったとしても、早めに分かれば何かできることがあるかもしれないしさ。」
いいぞ! 助っ人、もうひと押し!と思ったのだが、おばあさんは、俄然いきり立った。
「自分の身体と向き合って80年、このワタシがだましだましやっていけば死ぬまで持つと思っているのに、なぜ病院に行かなくてはならない? 頭でっかちのあんたたちがネットの情報ばかり入れて、勝手に人の身体のことを決めつけないでほしい!」
失敗か。甥っ子も私も、言葉を失った。話は平行線のまま、もうどう説得したらいいかわからない。
もうなんでそんなに嫌なの? 万が一の方がやばくない? 「具合は悪かったら病院に行く」という、私達にしてみたら至極当たり前で簡単なことが、なんでこんなことになるのか。
トホホという気持ちで、その場は解散となり、気まずい雰囲気のおばあさんと私が家に残った。