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病院に行きたくないおばあさんとの死闘 ②
なんで?! 突然の決断
結局、おばあさんは自室にこもってしまった。私は「失敗か。これ以上どうしたらいいんだ。青森の兄貴たちになんと説明したら、どんなに非難されるか…」と落胆しきっていた。
ところが、翌日のこと。突然おばあさんがこもった部屋から出てきてこう言った。
「病院行くから、予約取ってくれ。」
なんで? 突然の心変わり。ついに説得が功を奏したのか!?
私は震える手でスマホをとり、予約の電話をかけた。突然の勝利が信じられなくて、どんな刺激で壊れてしまうかわからない気持ちだ。
のちに、落ち込んだような声で訥々と語るおばあさんの話を聞くに、どうやら自室で青森に住むSさんに電話をしていたらしい。Sさんはおばあさんより一つ年下の83歳、がんサバイバーで元外科の看護師だ。バリバリの働き者。そして看護師さんだけに、病院に大きな信頼を寄せている。おばあさんはかねがねその姿勢を「あんなに病院をあてにしていいのかね」などと批判していた。が、そのSさんに「それ、黙ってても治らないから、すぐ病院行ったほうがいい。すぐ」と言われて、心を決めたらしい。
「私も甥っ子も、ずっと同じこと言ってたのに!」と口の先まででかかった言葉を飲み込む。もし余計な一言で、振り出しに戻ったら......。慌てておばあさんの話に相槌をうつ。
けれど心の中は、「なんだよう、なんでSさんには素直に従うんだよ」といった黒っぽい考えがモクモクと湧いてきたのだった。
説得に必要なもの。同世代の力、数の力
ではなぜSさんの一言が効いたのか、その理由を紐解いてみる。
第一に、おばあさんとSさんが同世代ということがあると思う。同世代なら「多く説明しなくても身体の状況が共有できている」ことなんじゃないかと。
年寄りだし、身体は思うようにならないし、傷つけられたら怖い。その心をわかってほしいといくら若い私達に説明しても、そして「わかってるよ」っていわれても、なんだかわかってもらえないような気持ちになるのかもしれない。でも同年代ならそこは説明不要。ましてやガン治療を経験したSさんの意見は、痛みや苦しさにも理解があると思ったんだろう。
第二に、数の論理。私、甥っ子の二人がかりで押したことがきっかけで、おばあさんはSさんに相談する気になったのではないか。そして信頼できる3人目の意見がスルッと通ったのではないか。
数の力というのは意外とあるんじゃないかなあ。
おばあさんは結果的に病院に行くことになったけれど、途中は本当にイライラ、ヒヤヒヤ、ドキドキした。病院行きたがらないお年寄りが手遅れになった話をよく聞くが、まさか自分がそんな目にあうとは。なんでそんなに嫌がるのかは、正直まだわからないままだけど、
人が何かを決断する際、そんなに簡単じゃあないんだよってことは、よくわかった気がする。
人の不安との戦い方
予約が取れて安心したのも束の間、今度はおばあさんの不安が噴出した。
「お前のせいで病院に行くことになった」
「もしガンだったらどうするんだ」
なんだよ、八つ当たりかよ! これらの言葉を聞くたび、私はすっかり面倒くさくなった。流しても流しきれず、ストレスはガンガン溜まってきた。
なんかよく介護の本とかに、不安に寄り添うようにって書いてあって、なるほどな、イエスマンじゃなくちゃいけないもんなのかな、と思ってたけど、実際なってみると「これって寄り添いきれるもんなのかな?」ってこと。
相手の不安を受け止めるって、大変だし、キリがない。また喧嘩みたいになりたくないから、じっと我慢する?
いやいや「自分を守る」ことは重要だ。全て受け止め、自分だけが我慢してしまいたくない。
結局、死闘はまだ続いており、お互いどうしたらスッキリ納得できるのかは、まだまだ見えないのだった。