見出し画像

アリスとテレスのまぼろし工場

こんにちは、まろんです。

先週、今週で「アリスとテレスのまぼろし工場」を観て来ました。余韻がすごいです、本当に良い作品でした。今回はそのあらすじを踏まえつつ、感想や自分なりの解釈を書き綴っていこうと思います。
今回も相変わらず備忘録です。特典全部貰いに行く予定ですのでそれはそれでまた別の機会に載せたいと思います。

なおこの先ネタバレありですので、これから視聴予定の人は注意です。



この物語は見伏市の産業の要である製鉄所が爆発するところから始まり、爆発した後の言わば現実世界と、爆発する前の時間で停止した、季節も変わらず登場人物の成長も見られないまぼろしの世界というふたつの世界に分岐します。映画で描かれたのは主に後者の方です。まぼろしの世界では全員が同じ時を同じようなメンバーで同じように繰り返す。エンドレスエイトではないですが時間がその特定の日だけを繰り返すため、住民の成長なども見られません。

そんな世界に現実世界からひとりの少女が迷い込んできてしまいます。この少女はこの世界に囚われず日々成長し続けているため、その存在自体がこのまぼろしの世界に大きな影響を与えてしまうと考えた結果、現実世界へ返してあげようと主人公正宗の父、昭宗が提案します。しかし睦実(本作のヒロイン)の義父は、逆に少女をこの世界に閉じ込めて何の変化も与えなければいいと、この少女を製鉄所の第五高炉に閉じ込めてしまいます。

そんな義父に第五高炉での少女の世話を任されていたのが睦実です。ある日睦実は正宗に、週3で少女の世話をするよう言います。睦実いわく、正宗は女っぽい風貌だしいいだろうとのこと。正宗もなんだかんだ言いつつそれを了承して、少女に絵本を与えたり身の回りの世話をしたり、結構面倒見のいい印象を持ちました。

もともとこの少女を閉じ込めていた理由が、大きな変化を与えないこと。しかし正宗と接触することでとてつもなく大きな変化が生じます。

少女は、正宗に恋をしたのです。

この頃少女は正宗に"五実"という名前を与えられています。普段の面倒みの良さしかり、正宗は五実を外の世界へ連れて行ってあげるなど様々なことをしました。その結果、五実は正宗に恋をしました、してしまったのです。

ここで五実の正体を言ってしまうと、現実世界での正宗と睦実の子供です。

このことに気付いた正宗と睦実は五実を現実世界へと返してあげようとします。しかし五実はこのまぼろしの世界に残りたいと言って聞いてくれません。

このまぼろしの世界は多くの人達の心の変化によって崩壊寸前のところまで来てしまいました。終わりの世界でしかし、五実だけは現実世界へ行って未来へ進める可能性がある少女です。それでも五実は好きな人たちがいるこの世界にいたいと言います。

そこで睦実は諭します

未来では色んなことが待っているよ
楽しい、苦しい、悲しい
強く、激しく、気持ちが動くようなこと
友達ができるよ。
夢もできる。
挫折するかもしれない。
でも、落ち込んで転がってたらまた、
新しい夢ができるかもしれない。
だから、
せめて、
ひとつぐらい。
私にちょうだい。

正宗の心は、私がもらう

大事な人を守るため、自ら嫌われ役になることもあると思います。この時の睦実もそうでしょう。しかしそれ以上に、五実に対する睦実の慈しみの表情は、世界線を超えてなお母親として娘に向けるものであった。そう感じます。






五実は現実世界へ戻ることができました。神隠しにあった少女が数年後ひょっこりと戻ってきた、と言ったところでしようか。

あのまぼろしの世界がその後どうなったかは描かれていません。しかしそんなまぼろしでも生きている、と正宗が言っていたように、きっと力強く生き続けていくことでしょう。

五実(現実世界では沙希という名前)は自分が育った製鉄所、今は跡地ですが、そこの第五高炉へ足を運びます。現実世界へ戻って数年は経っているでしょうか、日本語がスラスラと喋れるようになっていました。物語はそのまま日が傾き時間が流れるように終わっていきます。





岡田麿里監督の映画作品は"さよならの朝に約束の花をかざろう"に続き2作目だそう。さよ朝は視聴済みですが、今回のまぼろし工場を観て、岡田麿里監督の作品は登場人物の"生きる"というエネルギーに力強い想いが込められていると感じました。生きることの大変さに挫けそうになっても、それ以上に素晴らしいことや楽しいこと、嬉しいことが生きていれば絶対にあるから。そういうメッセージが込められているとあくまで個人的には思いました。明日からまた頑張れそうです、本当に素晴らしい作品でした。

手紙のシーンで号泣したまろんより。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?