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映画は語りかける

夏に、ある映画について、娘が話してくれた。

「ああ知ってるよ、その映画。とってもいいい映画だよね」


最近、数作を再び鑑賞してみた。
以前からその映画シリーズは一人で観たことがあった。
観たくなるのは、なぜだろう。
その映画に漂う人情が、私のなにかを慰めるからなのか。

その映画の主人公の男は、
私の人生のなかで無の存在にされ続けたある人物を
見るたびに思い出させた。


主人公の男は、いい人間なのだ。
でも、世間の歯車とは、どこかが噛み合わない。
なんとか普通の暮らしになじんで
こんどこそは「まっとうに暮らしてみようか」と
こころみるのだけれど
なにかがちょっとずれてしまって
うまくいかなくって
そして
彼は、また旅に出ていく。


寂しくなったら
またふらりと戻ってくる。
それを、厄介に思う人もいただろう。
でもその時に、ぜったいに彼をかばい、
そしてどんな時も笑顔で受け入れ続ける妹。
そこにも、私の身近な者たちの姿を重ねずにはいられないのだ。
絶対じぶんを見捨てないそんな存在がいたからこそ、
その男は希望を持ち続けられたのではないだろうか。


この主人公の男にとてもよく似た人物が
私の人生に実在する。
9年くらい前にその人から
頭がちょっとボケてしまったような柔らかな声音で、短い電話があった。
「あっちゃん、あっちゃんは、今、東京にいるんやってなあ」
と彼は訊いた。
私は戸惑い、でも、受話器のこちら側で声を出さずに泣きながら
「うん、そうだよ」と言った。
「そうかあ、とおいなあ。げんきでな。またかけるから」
「うん」
うん、と答えるのが精一杯で、
そしてその日から二度と電話が鳴ることはない。


昔、その人は
「今度のクリスマスには、ステレオを買ってあげるからな。待っててや」
と言って
背の低い小太りの体を、無理して買ったであろう高そうなコートに包み、
気取ったハットまでかぶって
田舎の駅の方へ歩き去った。


小学校二年生くらいまで
毎年クリスマスの季節になると
今年こそステレオを軽トラに乗せてやって来るのではないか?と
12月25日には、何度も何度も表に出て
駅の方角から走ってくるはずのトラックを待ったものだった。


あの映画の主人公の男と、その人が重なるのはなぜなのだろう。
そしてその人は、
今頃どこにどうしているのだろうか。