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シャイが好き 不器用が好き

どんなに忙しくても、疲れていても一人になれる時間があれば
何かを書いている。
Yuigon日記を書き始めたのは良かった。
人間はいつどうなるかわからないので、書いておけばそれは残る。
誰かが読むことができる。


今日は四年生のある純粋な女の子Sちゃんのお母さんからのラインで
彼女が一般的に”9歳の危機“とも呼ばれる時期を通過中だと知って
胸が痛くなった。
同時に、娘が9歳の時に、とつぜんとっても親しかった女の子に
何の理由もなく冷たくされて、そっと、しくしく布団の中で泣いていたことなどを、ふと思い出した。


思えば、娘は、活発というより、おとなしくまじめで優しい少女だった。
Sちゃんも、そう。
周囲の女子たちが思春期の手前でどんどん変化するなかで
一時的な標的になったのかもしれない。


娘が中一になった時、
彼女が当時とっても親しかった誠実なNちゃんに誘われ
バレー部に入ろうかな・・と言った時には、正直、驚いた。
運動は得意とは言えないし、それに、激しい運動クラブの練習に耐えられるのか?と、正直、ヒヤヒヤしたけれど、まあ、やめるのはいつでもできるからチャレンジだねと、夫とそっと見守っていた。

結果的に、3年間続けられた。
しかも、あの、運動会さえ苦手だった彼女が、レギュラー選手として試合に出ていたことは、親からしたら、もうびっくり仰天だった。


このバレー部には、鬼・・と呼ばせてもらっていいだろうか笑、
そういうコーチがいて、
もうそれはそれは厳しい練習。

怒号が飛び交い、
夏の練習では「今日の練習で、休憩に入った途端、Aちゃんが過呼吸になったけど、休んでいたら復帰したよ」と、娘の友人から聞いて、これにもびっくりした。
このクラブ(いや鬼コーチ)のおかげで、気力と忍耐力が養われたのだろうと思う。鬼コーチに感謝すべきかもしれない。
コーチ、ありがとう笑。


そうそう、話が逸れていったが・・
そのラインをくれたお母さんの子供さん、Sちゃんはどこか娘と似ていることもあって、午後中、Sちゃんのことが頭から離れなかったのだ。
で、ふと、娘がどれだけシャイな子かということを、思いだした。


そう、こんなことを書いたら娘から注意されるかもしれないのだが
彼女は、正真正銘のシャイガールだと思う。
私にもシャイな面はあるけれど、いやいや、彼女のそれとは異なる。
彼女のシャイさは、なんて言ったらいいんだろう・・
擦れていないというか・・
したたかなガールズたちが闊歩する都会の中で、
ぽつんと無防備に泳いでいる疑いを知らないイルカのようなかんじ・・っていうのだろうか?
無防備・・・、それがピッタリの表現かも。
美化しているのでなく、ほんとうにそういうかんじだと思う・・。

一見、タフに見えるかもしれない。
でも、実は非常にナイーブで、恥ずかしくなると、きゅうっと内側に向かって引いてしまい、目を閉じてしまうような・・そんなかんじ。
シャイな彼女が、どうか東京という大都会のなかで、無事に、いつも大切に守られてしあわせでいてほしいなあ・・・と、今更ながら願う。


そういえば、今日は兄の方からも連絡が来て、ラインを長々と交わした。
彼は、また別の意味でシャイ。
またある意味、生き方が不器用で
優しい、ナイーブな、そして誠実な人だと思う。
不器用か・・
実は、私は、不器用な人が大好きなのだろう。
器用なことが悪いわけじゃない。それは生きていくのに役立つし、社会の即戦力にもなる。器用な人はどこでも必要とされる。


それでも・・・
不器用な人の純粋さ、それがゆえの頑固さ。
自分が信じていることを曲げられない気持ち。
計算では動けない。
そこにはなにかキラキラした命が光っている。
そしてそれは、とっても尊いものだと思う。


シャイな人、ピュアな人、不器用な人。
やっぱり、私は大好きなんだな。
昔からそういう人を、いつも好きだったなぁ…..と、しみじみ思う。

それを今日は記しておきたいなあと思った。