Birthday
生まれた朝は雪だったそうだ。町中が雪に包まれていたと母が言う。そして私の2番目のこどもが生まれたのも、やはり雪の日だった。
窓越しに銀世界を見た。陣痛促進剤を1時に打つと聞いていた。大きなお腹をさすりながら、硝子の向こうの木々に雪がつもり、こな雪が舞い散るのを見ていた。そろそろ階下のお産準備ルームに行こうと階段を降りた。
看護師さんに点滴の針を刺しこんでもらい、ベッドに横になる。なんだか昨日からぴくりともせず羊水の中であんしんしきっている子を、まだでて来たくないの?と、撫で撫でしていると、プツッと子宮のどこかが音を立て、ついで、突然、ゴゴゴ…と赤ちゃんが産道へと動いたのを感じた。すると、ヒェーっと叫ぶまもなく1分おきの激しい陣痛が始まり、気がついたら分娩室の寝台。おかあさん、まだいきまないで、ヒーヒーフーをして待っていて下さいよ〜!と医師が手袋をつけるが早いか、ピョーンとその子は飛び出した。お、おおお!と看護師が驚いて声を上げた。あらららー!飛び出してきた飛び出してきた!おかあさん〜、マルマルちゃんですよー!わあ、すごい。ほら!と、本当にマルマルちゃんな娘を、寝台に横たわった私の胸の上に置いてくれた。両手でその赤ちゃんに触れ、顔を見たとたん、”Aちゃん、Aちゃん”と私は小さな声で彼女を名前で呼んだ。Aちゃんはホカホカでやはり安心しきっていた。急に産道を飛び出したから私は1.5リットルくらい出血したらしく朦朧としていた。だけれども、二つの名前候補があったのに、少しもまよわなかった。彼女はAちゃんだった。その名前以外に彼女の名は有り得なかった。
娘が、とか、息子が、とか、自立している人を関係性で呼ぶのはなんかへんだと思っている。まあ便宜上、時々書きはするけれど。まあとにかく、AちゃんはAちゃん。一人の独立した人間。
そのAちゃんは、私が知る限り心底シャイだと思う。なにかと強く見えるみたいだが、ほんとうはいつも寄り添って生きてくれる人、振り向いたら待っていてくれる人を心の奥で求め、手を恥ずかしそうに宙に伸ばしているんじゃないかなあと感じる。
7歳か8歳くらいの頃、帰宅したら黙って部屋に入るようなことが何回か続いていた。入ってよいか聞いてドアを開けると、ベッドの毛布にくるまって声を出さないようにウグウグ泣いている。その頃、Aを親友と呼んでくれて休みの日は朝から夕まで遊んでいた友だちがいた。でも、ちょこちょこと仲間外れにされたりするようであった。
あるとき、新しく購入してすぐに彼女に貸してあげたゲーム機が「無くなった」と連絡があり、数日後「やっと見つかったから取りに来て」とまた電話が来た。Aは単純に喜び、私が運転していき、Aが呼び鈴を押した。Aは嬉しそうに白いゲーム機を受け取った。でも「ありがとう…」と口にしたあと、ただ呆然と手の中のゲーム機を見て立ちすくんでいる。親友はチラと彼女を見て、じゃあまたねと、パタンと玄関が閉まる。うつむいて車に向かってAが歩いてくる。車内に入ると、下を向いたまま白いゲーム機にぽとぽと涙を落とし始めた。涙が落ちている白いゲーム機に鋭いひっかき傷があちこち付いていた。落としたりして傷がついたのかもしれないね、わざとではないと思うよ。許してあげようね。Aはウグウグと泣いているが静かにうなずく。私は彼女の背中をさする。
何らかの家庭の事情で寂しい思いをしている子供が、友に矛先を向けることはある。胸が痛む経験だったけど、あの小さなお友だちも、たぶん心が壊れそうな時期だったんだろうなぁ。
そおっと手を伸ばす。
するとその手を優しくぎゅっと握って、うん大丈夫だよ、いつもここにいるからね、いつも応援しているからね。そう言ってくれるだれかを、人はきっと求めているんだろうな。そうしたらこの殺伐とした世界でも、人は強くなれるんだろうな。
東京は今、雪らしい。