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「お席どうぞ。」

まだ娘が1歳にも満たない頃の話。


同学年の子を持つ友人と出掛けた帰り、
やや混んでいる電車の中で
「お席どうぞ」と声を掛けられた。

声のした方に目を向けると、
若いカップルが照れ臭そうな様子で
私たちの為にと席を空けてくれた。


抱っこ紐にスッポリと納まっていた子供たちは
ぐっすりと眠りについていたし、
散々 歩き回って疲れていたので
お言葉に甘えて席を譲って貰った。


「ありがとうございます。」
「本当に助かります。」


笑顔で感謝の気持ちを伝えたら、
席を譲ってくれた二人は
満足そうな顔で軽くお辞儀をした。


そこから、ほんの数分後。
やや大きめの駅に到着した。

車内に居た人たちは押し出されるように出ていく。
そうしてポッカリと空いた空間に
今度は押し込まれるように人が入ってくる。

席を譲って貰えた事に感謝しながら
その人の波を眺めていたら……

「すみません」「すみません」
「あ、ごめんなさい……!」


何度も何度も謝る声が聞こえる。


どこから声がするのだろうと
キョロキョロ周りを見回すと、

少し離れたところに
男の子を抱き抱えた高齢の男性が見えた。
その直ぐ隣には高齢の女性。
二人の様子から夫婦なのだと直ぐに解った。

男の子は目を閉じていた。
寝ているのか、それとも寝たフリなのかは
今居る位置からは解らないのだけれど、
高齢の男性が抱き抱えるには
流石に重いのでは?と思うような体つきで、

混雑した車内で周りを気遣い、
しんどそうな表情を見せるご夫婦が心配になり……


「ねぇ、あのご夫婦に席を譲っていいかな?」
 と友人に聞いたら、

「うん。私も同じ事を思ってた。」
 と友人は嬉しそうに笑った。


私が席を立ち、ご夫婦に声を掛けた。


「もし良かったら、お席どうぞ。」


そんな私からの声掛けに対して、
ご夫婦は焦り、戸惑っていた。

赤ちゃんを抱っこした人に
席を譲って貰うなんて……と、遠慮した。

だけど、

「男の子の為にも座ってください」
と伝えたら、ホッとした表情を浮かべ、
ようやく空いた席に腰を下ろしてくれた。


「そのくらい身体が大きくなると
 抱っこするのも大変ですよね。」

ご夫婦が気を遣わないようにと話し掛けたら、
二人は哀しそうな笑顔で、事情を話し始めた。



この子は4歳。
この子の母親は妊娠中で
体調を崩したから入院していたのだけれど、
容態が急変して病院から呼び出されて
今はその帰りとのことで。

男の子は母親に会えると楽しみにしていたのに
母親は意識が朦朧とした状態で会う事すら出来ず、
癇癪を起こして、散々泣き叫んで暴れて、
泣き疲れて寝たから抱き抱えて来たのだ、と。


そして、その母親はつまり……


「私たちの娘なの。」


その言葉を聞いた途端、
電車の中だというのに我慢しきれずに涙が溢れた。
けれど、私が泣く話ではないのだからと
急いで涙を拭った。


男の子はご婦人に抱き付きながら
目を閉じて大人しく過ごしていた。

ご婦人は窮屈そうにしながらも
シッカリと男の子を抱き締めていた。

ご夫婦も、男の子も、
どれだけの不安を抱えているのだろう……


胸が締め付けられるような想いを抱きつつ、
出来るだけ落ち着いた態度で
ご夫婦と話しながら暫く過ごした。


目的地に着いたので、
ご夫婦に笑顔で別れを告げて電車を降りた。

すると、間も無く友人が「切ないね」とボヤいた。

けれど、その後 間髪いれずに
「席を譲りたいって気持ちが一緒で嬉しかった」
と言ってくれたから、

重く沈んだ気持ちが少しだけ軽くなった。


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