maro

ただの独り言。 思い出した時に、その時の想いを書き綴ります。 フォローやスキに励まされます。 読んで頂けた事と、そのご縁に、心から感謝いたします。

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最近の記事

“東京”の空気感。

先日、久し振りに東京駅へ向かった。 東京駅の構内は慌ただしく賑わっていて、 人の波に紛れながら歩いていると 仕事に夢中になっていた日々を思い出す。 靴音をたてながら急ぎ足で歩く人達と 休日の余暇を楽しんでいる私とでは 明らかに温度差があって、 その温度差に、ほんのりと淋しさを覚える。 社会に対する熱意が燻っている。 しかし、それに気付いてしまうと、 母親という役目が足枷のように感じてしまって 心の奥底がズシンと重くなる。 結局、母親となってしまえば 家族に振り回さ

    • 過去の恋を思い出す時。

        「匂いで過去の恋を思い出す。」 という話を耳にする度に、 自分には無い感覚だなぁ、と思う。 私は過去に関わった人達の匂いなんて 微塵も覚えていないから。 私が過去の恋を思い出すのは、 不意に、特定の音楽が聴こえてきた時。 それは、その当時に流行っていた曲だったり、 自分がよく聴いていた曲だったり、 相手が好きだと言った曲だったり…… それらの曲が耳に入ってきた時、 まるで連動していたかのように その時の情景や、会話、想い出が 頭の中にスルスルと流れ込んで

      • 『恋人』と『彼氏』と『セフレ』。

        『恋人』と『彼氏』は、同じようで異なる関係性らしい。 『恋人』は相思相愛で、「一生大切にしたい」と想い合っている相手。 『彼氏』は交際相手。 つまり、相思相愛じゃなくても肩書きさえあれば保てる関係性という事になる。 じゃあ…… 『セフレ』は? ここからは、独身時代の話。 私が成人したばかりの頃、想い合っている異性が居た。 彼は3つ歳上で、 今思えば、まだまだ幼かった時期だけれど、 あの時の私にとって彼は随分と大人びて見えた。 本職はベーシスト。 音楽事務所にも所

        • 人間は、不便な生き物。

          ここ数日間、様々な思想が巡って、 心が浮わついている。 頭の中に鮮明に呼び起こされる記憶は まるでドラマのワンシーンのようだ。 ふと、食事をしながら思い出す。 独身時代、仕事の打ち合わせを兼ねて 男性と二人で食事をした際に、 私が「人間って不便ですよね」と 何気なく口にしたら、 「初めて同じ価値観の人に出会いました」と 心底 嬉しそうに言われた。 そう、人間は不便。 いや、 人間に限らず「生き物」というのは 絶妙なバランスで成り立っていて、 そのバランスを保つ

          愛しさの境界線。

          最近よく耳にする『LGBT』という言葉。 その言葉を耳にする度に、 私を「好きだ」と言った後輩を思い出す。 その後輩は、同性愛者だった。 つまり、女の子だった。 出会いは、過去の職場。 その子はコンパニオンとして働いていた。 容姿にとても気を遣っていて 可愛い女の子だった。 いつもニコニコしていて付き合いも良くて、 何かをしてあげた時に素直に喜んでくれるから それが嬉しくて、よく食事をご馳走していた。 その子は異性からモテた。 けれど、誰とも付き合わなかった。

          愛しさの境界線。

          親の背中。

          「親の背中を見て育つ」 そんな言葉があるけれど、 この言葉を耳にする度に 今では疎遠となっている父の事を思い出す。 父は手書きのイラストレーターだった。 専門学校を出て、デザインオフィスを開業して、 様々な作品を世に送り出していた。 企業のロゴや広告の作成、名刺のデザイン、 本の表紙や挿し絵なども手掛けていたし、 行政からも依頼を受けていたので、 公共交通機関のチケットやパンフレットの挿し絵、 中学校の記念Tシャツのデザイン、 駅に貼られているポスターなど、 街を歩く

          親の背中。

          「お席どうぞ。」

          まだ娘が1歳にも満たない頃の話。 同学年の子を持つ友人と出掛けた帰り、 やや混んでいる電車の中で 「お席どうぞ」と声を掛けられた。 声のした方に目を向けると、 若いカップルが照れ臭そうな様子で 私たちの為にと席を空けてくれた。 抱っこ紐にスッポリと納まっていた子供たちは ぐっすりと眠りについていたし、 散々 歩き回って疲れていたので お言葉に甘えて席を譲って貰った。 「ありがとうございます。」 「本当に助かります。」 笑顔で感謝の気持ちを伝えたら、 席を譲ってくれた

          「お席どうぞ。」

          流星群と、高校生の私。

          本日は皆既月食。 肉眼でも月の表情の変化が楽しめて、 神秘的な気分を味わえる夜でした。 そういえば、私が高校生の頃、 しし座流星群が話題となった。 その頃、 私にはお付き合いしている男の子が居た。 スケボーが好きで、背が高くて、 見た目は派手で怖そうな印象なのに、 実際はとても優しくて、純粋で、 皆から好かれている人気者だった。 そんな彼が、私の誕生日に電話で、 「好きだ。付き合って欲しい。」と とてもシンプルな告白をしてきてくれたのは、 今でも思い出せるくら

          流星群と、高校生の私。

          自己の棚卸し。

          自分が小学生の頃、 家庭勉強をすると褒められて嬉しかったから、 褒められたくてやっていた。 だから母は私を 「勉強が好きな子」なのだと勘違いして、  新しい教材を次から次へと買ってきた。 そして、ソレをやらないと 「せっかく買ってきたのに」と言われた。 母からしたら 「勉強=私のやりたいこと」 だと思っていた訳だから、 「私のため」だと思って用意していたのだろう。 だから、子供なりにその勘違いに気付いた時、 「私は勉強が好きな訳じゃない。  褒めてくれるからやっ

          自己の棚卸し。

          失敗は成功のもと。

          受験や試験で失敗した。 行きたい進路に進めなかった。 職を失った。 愛する人と結ばれなかった…… それらは、確かに大きい出来事である。 辛く、苦しい時間を味わう事となるかもしれない。 だからと言って、 その先にも道が無い訳ではない。 道は続いている事を忘れないで欲しい。 時には、時間の経過や環境の変化と共に 傷が薄れるかもしれない。 時には、家族や友人に励まされて 立ち直れるかもしれない。 けれど、時には…… 癒えない傷となって残るかもしれない。 だけど

          失敗は成功のもと。

          東京タワーが、好き。

          私は、東京タワーが好きだ。 スカイツリーも現代的で好きだけど、 私は、東京タワーが好き。 特に、夜の東京タワーは 何とも言えない尊さが込み上げる。 都心に勤めていた頃、 ビルの隙間から東京タワーが見える度に、 「ここは東京。日本の首都だ。」と 再認識して、気持ちが凛とした。 仕事が上手く行かなくて、 色々な事に嫌気がさして、 自分の存在価値が見出だせなくなって…… そんな悲観的な想いを抱えながら トボトボと外堀通りを歩いていたら、 不意に東京タワーが目に留ま

          東京タワーが、好き。

          好きな先輩。

          恋心とは違う。 けれど、何て言うか…… 大好きなお兄ちゃん!という感覚の 好きな先輩が居ました。 同じ部活の先輩で、私の兄とは同級生。 いつも笑顔で、前向きで、 冗談が好きで、図々しくて、 何だか憎めないズルい人。 中学時代の部活の仲間とは 今も集まって呑んだりする。  先輩とは学年が二つ違うから なかなか会う事もないけれど、 いくつになっても 私の中では変わらない存在で…… 私からしたら先輩は、 部活の先輩であり、兄の友人でもあり、  程好く甘える事が出来

          好きな先輩。

          電車が、好き。

          地下鉄の複雑な乗り換えが好き。 探検してるみたいでワクワクする。 灰色の空間に鮮やかな広告が並ぶ。  人々が複雑な動きをしながら行き交う。 狭くて、窮屈で、危なげで、 その中に古さと新しさが混在していて…… そういう空間を眺めながら、 のんびりと歩くのが好きだ。 旅先で、電車に揺られながら見る景色も 勿論、好き。 だけど、 都心部の、ひたすら騒がしい景観も好きだ。 常に忙(せわ)しくて、流動的で……  見ていて飽きない。 都心で生まれた私からすると

          電車が、好き。

          娘の忘れ物。

          数年前、SNSに書いた記事。 久し振りに読んだら 自分で書いた記事なのに色々と考えさせられた。 なので、備忘録として置いておきます。 (↓以下、転載。) 娘が忘れ物をした。しかも上履き。 校舎に入るまでに届けてあげたい、と 登校の付き添いを途中で切り上げ、 家まで取りに帰る事にした。 周りに注意しながらも、自転車で急ぐ。 そんな時に限って、 足の悪いお年寄りが狭い歩道を塞いでしまう。 耳も遠いのか「すみません」と声を掛けても 退く気配も無ければ、気付きもしない。

          娘の忘れ物。

          変わらない味、なのに。

          母が買ってきてくれた、 JR小岩駅前にある『PASCAL』の カマンベールチーズケーキ。 これは好きな味だ。嬉しい。 母から聞いたのだけれど…… 不二家や町のケーキ屋さんが主流だった頃、 『PASCAL』のケーキは贅沢品だった。 今では本格的なケーキを売っているお店が そこら中にあるけれど、 当時は『PASCAL』がそういう位置付けで、 味も見た目もお洒落で豪華に感じていた。 だけど、今は美味しいモノが溢れていて、 チェーン店のケーキですら質が高くて、 『PASCA

          変わらない味、なのに。

          笑顔が、心配へ変わる日々。

          気付けば、コロナウイルスが世に現れてから もう一年半以上の月日が流れている。 コロナウイルスが世に出始めた当初は、 まるで対岸の火事のような感覚で。 まさか、日々の生活を こんなにまで変えてしまうと思わなかった。 『ソーシャルディスタンス』という言葉を 生まれて初めて耳にした時、 「何を言ってるの?」と他人事のように 聞き慣れない言葉への違和感を覚えた。 意識と行動を定着させるまでに時間も要した。 マスクを着けるのが苦手な私が、 一日中マスクをする生活を送るなんて

          笑顔が、心配へ変わる日々。