自己の棚卸し。
自分が小学生の頃、
家庭勉強をすると褒められて嬉しかったから、
褒められたくてやっていた。
だから母は私を
「勉強が好きな子」なのだと勘違いして、
新しい教材を次から次へと買ってきた。
そして、ソレをやらないと
「せっかく買ってきたのに」と言われた。
母からしたら
「勉強=私のやりたいこと」
だと思っていた訳だから、
「私のため」だと思って用意していたのだろう。
だから、子供なりにその勘違いに気付いた時、
「私は勉強が好きな訳じゃない。
褒めてくれるからやっていたの。」
とハッキリ返した。
その事があってから母は、
勝手に何かを買ってくるような事はしなかった。
母は優しくて、鈍感な人。
だから今でも言葉にしないと伝わらない。
ありがたい事に、
私は特に何をした訳でもないのに
勉強も運動もトップクラスで出来た。
それらは、何も考えなくても出来た。
だけど小学生時代の私は、
「自分のしたい事」「自分が好きなモノ」が
何も無くて、見当たらなくて……
それが虚しくて辛かった。
何の目標もなかった。
日々運動や勉強で競っていたライバルたちは、
尽く中学受験をして居なくなった。
私は中学受験という選択肢は与えられず、
そのまま何も見当たらないまま中学生となった。
と言うか、
中学受験にすら興味がなかった。
勉強をするのは、好きではなかった。
中学校に入学して、部活を決める際に、
「うちの部に入れ」と一人の教師に誘われた。
小学校時代に何と無く出た大会で
複数の競技で優勝をしていた。
だから、その教師はしつこくて、
私が入部してくれると信じて疑わなかった。
しかし私は興味がなかった。
だからと言って、他にやりたい事もなかった。
だから、
「得意だから」を理由にその部に入部して、
そのまま、その部活で三年間を過ごした。
好きでもないのに練習するのはキツかった。
自分が「たまたま持っていたセンス」だけで
成績を修めていたのも自覚していた。
練習しても伸び代がない事も解っていたし、
全く練習をしなくても
東京都でなら一位を取れる事も解っていた。
だけど、周りの人達の気持ち考えて、
練習には真面目に参加していた。
周りの子が成績を上げようと必死で練習する中で、
(とても失礼な言い方となるけれど)
周りに合わせて練習を行っていた。
私にとってはキツくもない練習だけど、
他の子は辛くて体調を崩したり、
ヘトヘトになっていて……
それを何処か冷めた目で見てしまう自分が居た。
そんな自分に嫌気がさした。
何事にも熱くなれず、いつも何処か冷めていて……
そうやって「何か夢中になれる」のが羨ましかった。
部活で必死になって頑張っている子、
好きな芸能人やアニメの話題で盛り上がっている子、
恋愛に一喜一憂している子、
そうやって「好きなモノ」を持っている子たちが
キラキラと輝いて見えた。
そんな私も、中学三年生の秋に恋をする。
関東大会に出場する選手の練習会で
同じ競技で代表に選ばれた男の子。
私にとっての「初恋」と呼べる淡い想い出。
その話は、別の回で語るとして……
部活に関しては
高校になったらセンスだけでは通用せず、
それなのに、
今まで一位の座に居続けていたから
生意気にプライドだけは出来上がっていて、
東京都の大会で入賞はしていたけれど、
それでもつまらなくなって辞めてしまった。
結局、最期まで夢中にはなれなかった。
その後も私は、
何処か冷めていて、常に退屈で、
それが今でも苦しく感じたりもして……
人に囲まれているのに
常に孤独がつきまとっているような感覚があって、
だから、たまに独りになりたくなる。
私の事を「羨ましい」と言う人が居た。
私の事を「狡い」と言う人も居た。
けれど、私は……
「夢中になれるモノ」を持てる人を
羨ましく感じていたんだよ。
それは、今も変わらないんだ。
こんな自分を「好き」だと思う気持ちは
無いと言ったら嘘にはなるけれど、
「好き」だと思う場面より
「嫌だ」と思う場面の方が多いのは確かで、
気付かなくて良い事に気付いてしまったり、
周りとの温度差に淋しさを感じたり、
こういう想いを一生するのかと思うと
正直しんどいなぁ……って。
現実世界には、
私が本音を吐露できる場が極端に少ないので
此処に書き綴ってみました。
ただの独り言だけれど、
読んでくれて、ありがとう。
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