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311を経験したわたしが能登で見たもの

能登豪雨から1週間がすぎた10/1〜2の2日間、現地ボランティアに行ってきた。
今回見たこと、感じたことを備忘録で書いてみる。

今年1月に起きた能登地震から復興に向けて進んできた中での被害だった。

わたしが豪雨災害を知ったのは、発災から少し時間が経った頃。ネットで被害状況を調べていたら、”二度の被害を受けて、もう(ここでの生活は)諦めた”という記事を見つけた。

311で、同じことが起きていたらきっと自分も家族も立ち直れなかったと思う。なんだか自分のことのように思えて、少しでも今の自分にできることをやりたいという気持ちが日に日に増した。

そんなとき、町内で有志として現地に向える人を募集していると知り、衝動のまま次の日能登へ向かうことに。
そんなわけで、9月29日(日)の20時に大槌を出発をし、11時間の道のりを経て輪島市に到着した。

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9月30日(月) 1日目
►7時
輪島に到着して、先発組と合流。ボラセン集合まで時間があったので、能登地震で火災被害に遭った朝市周辺をぐるり。

火災現場は跡形もない状態に。

►9時 
輪島市の町野町(”まちのまち”と読むらしい。かわいい地名だな)へ到着。ここは市街地から離れた場所で、支援の手も入りにくい場所。

現場に着くまでの道のりは
整備するのに時間がかかりそう

合羽や、軍手、ゴーグル、ゴム手、スコップ、ブラシなどなど一通りは揃っているので、必要なものをボラセンから持っていき作業へ。

中学校の体育館がボラセンの拠点になっている


今回ボランティアに入ったのは、町の歯医者さん。地域の人から愛された場で、「いつオープンするの?」と問い合わせがくるそう。
能登地震で被害に遭い、いち早く再建に動いていた中で今回の豪雨被害に遭った。
自宅もシステムキッチンをいれ、クロスも張り替え、もう少しで生活の場が整うところだった。

お母さんは、なんとも言えない表情で、
「もう笑うしかないわ」とぽろっと言った。

ボランティア先の歯医者兼ご自宅

►9時半~16時
作業開始

泥と水をちりとりですくいながら、
水が透明になるまで何度も繰り返す。
泥を含んだ水はとても重い・・・

ウォータージェットで泥と水を一気に出そうとすると、壁に跳ね返って戻ってきてしまうので、人力で地道な作業を繰り返す。

この日は大槌組3名と、地元の方1名で作業。
地元の方は、今回の豪雨は被害を免れたものの、地震の被害はあったそう。

「1週間前までこの向いにあるスーパーに買い物に来てたんです。こんな大変な状況なので、居ても立っても居らなくて…。」と有給を使って、作業参加していた。

「テレビとかで作業進捗に対していろいろ言っているけど、現場の大工さんも人数が限られた中で必死に作業している。”まだこの状況なのか”というのは言わないでほしい。」と静かめな声だけど、怒りが含まれたような感じだった。

10月1日(火)2日目
9時~16時
この日は床裏にこびりついた泥をウォータージェットできれいにしていく作業。
大槌から3名応援がきて、熊本チームも参加して、10名ほどで作業にあたった。

床下にもぐって作業
合羽が防水と思っていたら、防水じゃなかったので、全身びしょびしょ(笑)
最後は床も洗い流して、きれいな状態へ

311以来、災害の現場を見るのも、ボランティア参加も初めてだったので、体力的にも気力的にも不安はあったけど、わたしでもできることはあった。 

ボランティア帰りに出会った人が、女性でも行けますかね?と言っていたけど、やれることはある。体力勝負のところはあるけど、女性だからできないという現場ではなかった。

そんな感じで2日間の作業を終えた。

▶︎現場を見て感じたこと
①現場は疲弊してるけど、精一杯に頑張っている
よく「今後はどうするんですか?」なんていう問いかけをする人がいるけど、生活の場を奪われたわけなので、現場はその日を過ごすこと・考えることで精一杯。
そんな中、一日でも早い再建を目指す歯医者さんは、言葉の節々からきっといろんな感情が入り混じっているけど、”進む”を選んで今奮闘しているんだと感じた。 
▼ボランティアに入った歯医者さんの記事▼


②まだまだ人手を必要としている
現場は、まだまだ人が足りない状況だった。立地や、受け入れ体制の課題はあるけど、それにしてもマンパワーが足りない。現場は疲弊をしていて、それでも日々やらないといけないことをこなし、心休まる間もなく、ギリギリのところで保っている感じだ。

現場には、東北勢の入りが多かった。311を経験をした人たちだ。わたしもそうだが、何かしらの形で関わることを望んでいる人もいるだろう。個人で行くのは難しいかもしれないが、誰かと一緒なら行こうと思える人はいるかもしれない。東北、あるいは岩手から被災地に向かうバスはないだろうか(関東はあるかもしれないけど)各エリアを停留するボランティアバスがあるだけで、一気に現場入りするハードルが下がる気がする。

誰かが言っていたが、こんなにも立て続けに災害があるなら、ボランティアだけではもう難しいのではないかと。これは長期的に部分だけど、確かにいつどこで起こるかわからない中、個人のボランタリー精神だけに頼るのは限界がある。行政、民間、多様な人たちを巻き込んでもう少し大きな枠組みを作る必要があるのかもしれない・・・。


③ボランティアにできることは作業だけじゃない
今回たった2日間しか現地にいれなかったが、その中でもいろんな方と出会えた。

「こんなことが起きてしまったけど、いろんな人と出会える。大槌も知らなかったけど、こうやって来てもらえて知れる。」

ご夫婦はとても気さくで親切な方

そう話すのは、歯医者さんのお母さん。嬉しそうに私たちの写真を撮っている。メインミッションはあるけど、こうやって誰かが来てくれる事実が、現地の人にとっては活力になるんだろう。

確かに311のとき、ボランティアの人を鮮明に覚えているわけではないけど、たくさんの人が現地に来て、作業にあたってくれた姿に救われた。そして支えられた。たぶん似たような感情だと思う。意図していなかったところで、ここに来た意味があったと感じた。

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輪島市内に到着した時、建物が崩壊した中を、ランドセルを背負った小学生たちが登校していた。建物が撤去されたら、更地になる。
故郷の風景が、目まぐるしく変わる、そんな環境で過ごしている。

この経過を見て育つ子どもたちの何十年か後、町が再スタートをきって、前進してきた姿がありますように。
帰ってきた地元大槌の風景を見て、そんな風に思った。

輪島市内の建物崩壊の様子

今回、わたしが能登に行くために仕事を調整してくれた職場、そして一緒に現地に向かってくれたみなさん。本当にありがとうございました!

また行きたいな、能登。


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