人生の一コマ 第15話
第14話の続きです。
夫が他界した事で私に起きた事を全て人生経験の一つとして
全て受け入れられるようになるためには
多くの年月が必要だった。
今回は食べる事について私に起きた事を書いてみる。
夫の死の知らせを受けたのは お昼頃。
その日の夕方になり周りに人達が台所に集まり何かをしている。
私には《何か》をしているとしか思えないのだった。
何をしているのかわからないのだ。
今なら分かる 皆んなで夕飯の準備をしているのだ。
しばらくするとテーブルを囲んで細い棒を持ち
口にその棒を押し込んでいるのだ。
今なら分かる 皆んなで先程作った料理をテーブルを囲んで
食べているのだ。
その風景は 次の日になっても 朝、昼、夜 と 行われている。
私にはその人達が私とは違う生き物に見えていた。
その人達は夫の両親や親戚の人達、近所の人達なのだが
その時の私は異質の存在として感じていた。
その人達が口に 何かを押し込んでいる様子を見ると
息がつまるのを感じていた。
匂いも感じなかった。
私はただ夫の傍に時間を感じる事無く居たのだ。
夫の肉体が墓石の中に納められても
私は自分の肉体がある事をわかっていなかったようだ。
食べる事をしなくてもお腹は空かない。
おトイレに行く事がこの肉体には必要な事だとすら認識が無い。
私は実家に帰らされた。
私は子供と実家で生きていた。
何も食べる事をしなくても お腹が空くなど無い。
時間の経過を感じていないので 眠くなる事も無い。
そして 周りで起きている事に私が関わることは無かった。
何ヶ月そうしていただろうか、
思い出せない。
ただ 庭で遊んでいた我が子が
突然 私を見て
「お父さんがもう大丈夫だから一緒に暮らしていた所に
戻って大丈夫だよ。って言っているよ 。
そして、これをお母さんに言うようにだって。」 と 言ってきた。
話し終えると 何も無かったかのようにまた遊び出した。
私は何故かこの言葉通りにしようと思い親に話した。
親は私が子供を連れて帰ろうとすのを心配してくれたのか
一緒に来てくれた。
夫と暮らした住まいに戻ると多くの方が励ましに訪れてくれた。
今 思うと、そのお一人 お一人の思いが 私を取り戻す力と
なったのかもしれないと思える。
母が時折私の前に牛乳を注いだコップを差し出すのだが
いつも 何を差し出されているのかわからなかった。
しかし 私達親子を思い 顔を出してくれる人達の
優しさを私は心の中に注ぎ込んでいたのだ。
そして ある時
いっぱいになり コップの中に入っている白い物が
飲み物である事が分かったのだ。
私は牛乳を飲み込む事ができた。