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与えられたチャンスを自ら潰す-大人の発達障害日記-
私は30歳で発達障害(ADHD)と双極性障害が判明した男。
借金500万円と妻の金を無断で使い込み3ヶ月前に離婚した。
私は大人になってから何度も、周りの人間が善意で与えてくれたチャンスを自ら潰してきた。
今回はその出来事と、どうして自分がそう言う選択をしてきたかを振り返ろうと思う。
大学一年生の時、いきなり留年した。
当然厳しい両親からは激しく叱責され失望された。私の通っていた大学は単位が足りないと進級できないのだ。
「きちんと心を入れ替え、勉強する」と言う条件で両親には許してもらった。
これが1度目のチャンスだ。
だが残り2単位を翌年に残して留年した私は、結局何もしなかった。とくに挽回するために新しいことをするわけでもなく、ダラダラと2年めの1年生を過ごした。
心の中では、「何かしなければならない」ということは理解しているのだが、どうしても目の前の楽な選択をしてしまう。
その度に自分が嫌になる。けれどもやめられない。
そんな繰り返しで、大学5年目の終わりになり、結局卒業することはできない状態に陥った。
普通であれば後期に入った時点で、卒業できるか否かはわかる。
ただ自分の場合は、わかっているのに動くことができない。どうにかしなければならない状況でも行動に起こすことができないのだ。
さらには誰にも相談できない。
この原因については以前こちらの記事で書いたので、よかったら見て欲しい。
この2つが合わさることで、最悪のシチュエーションの完成となる。 大学5年目ともなると、同じことを繰り返しすぎて、最悪のシチュエーションがすぐ予想できる。
その状況でも何もできないのだ。
自分でも”どうして同じことを繰り返してしまうのか”毎回ひどく悩む。この頃になると1年の1/3くらいは悩みすぎて寝付けない状態になっていた。
ただそれを打ち消すかのように遊びには全力で取り組んでいた。
客観的に見れば”ただのクズ”である。自分でもずっとそう自己認識していたし、今でもまだその考えは残っている。
そうして大学を卒業できなかったことを親に隠して、就職した。
当然そんな状態で上手くいくはずもなく、卒業していないことがバレる。ここで私の両親は寛大にも、まだ間に合うからと、引き続き大学に行って卒業するようにと私を許してくれた。
これが2度目のチャンスだ。
しかし私は自分のちっぽけなプライドのためにそのチャンスを再び捨ててしまう。
無断で大学を中退したのだ。
当時の自分はサークルの代表をやっており、周りからの信頼も割とあった方だ。
そんな自分が”卒業したはずの大学に居る”
それに耐えられなかったのだ。
6年間分もお金をかけてもらって、卒業できなかった大学。控えめに言ってもクズ息子である。
そんな状況の私に、両親は選択肢を与える。学歴の遅れを取り戻せるだけの何かを考えろ、と。
これが3度目のチャンスだ。
そこで私が選んだのが公認会計士である。
仕事をしながら、予備校に通って勉強をする毎日。初めこそは頑張ってやっていたが、やはり楽な方に逃げてしまうのが私である。
国家三大資格、中途半端に勉強して受かるわけがない。2回落ちた。それでも周りには頑張って勉強しているようにに見せていた。
自分は何がしたいのだろうか?ただその場しのぎを続けて、その先は何もない。
わかっているのに、同じことを繰り返す。
「つらい、苦しい、普通に働いて、普通に生きたい」。毎日苦しんでいた。
ただ両親はこんな私を抱えて、その何倍も苦しんでいたはずだ。
ここまで来ると何のために生きているのかもわからなくなっていた。
そして私は実家から逃げた。
実家から逃げた私だがその後一緒に暮らしたのが、先日離婚した妻だ。
ここまでくるとお気づきだろうが、妻に対しては自分の過去を偽っていた。
「今回も最終的には隠していることはバレるだろう」頭では理解していた。
ただどうしても言えない。
嫌われたくない、失望されたくない。いっときのその感情に支配されてしまう。
そうしてまた自己嫌悪に陥る。
そうして自分の仮面の生活は3年間続いた。
3年間も続けられた理由は3つある
①妻との生活が楽しすぎたから
妻は本当にいい人間だった。努力家で他人を思いやる心があって、私は彼女のことを人間として尊敬していた。
相性も本当に良かった。これは素の自分との相性だ。
②愛しすぎていて依存していた。
単純に妻のことを溺愛していたので、離れる勇気がなかった。
③自分の発達障害の性質
以前の記事や前述の経歴から見てわかるように、”わかっているのに行動できない”
これが一番大きかった。この頃はまだ自分が発達障害を持っているとは夢にも思っていなかったし、自分の行動の理由も全くわかっていなかった。
そうして生活していく中で、最終的に罪悪感から酷い鬱状態になって仕事ができなくなった。
ここでも私は仕事を辞めたことを妻に隠していた。そうして最終的に金銭的にも限界がきて、借金をした上に妻のお金に手を出した。
それが明るみになって全て終わったのだ。
ここでも妻は私を許そうとしてくれた。
全てが明るみになった時
「もうこれ以上隠していることはない?」「あなたのしたことは許せないけど、借金を精算して、偽りもすべて明るみにして真っさらなあなたになれるのなら、あなた自身のことを恨みはしない」
これが4度目のチャンスだった
そう、私はこの後に及んでも全てを話さなかったのである。いや、話せなかった。
言い訳になってしまうが、自分の人生の全ての嘘がバレて、妻、友人、人間関係を全て失った。両親にも甚大な迷惑をかけた。
また全てが明るみになったその瞬間は、「もうこれ以上責められたくない」この一心だった。重度のうつ状態だったこともあり、正常な判断も全くできなかった。
結局は自己保身なのだが、4ヶ月前に戻れるなら言いたい。「全て話せ、おまえも妻もさらに苦しむことになる」
今も毎日このことを悔いている。
一度は許そうとしてくれた。でも自分からそれを反故にした。
その後であった、自分の発達障害と双極性障害を知り、過去に向き合うことができたのは。