今夜でっかい車にぶつかって死んじゃおうかな
今からの時期に「君たちはどう生きるか」は名作です!と言い張るサブカル野郎どもを狩ることを生業にしようと思う。ああいう映画を抽象的に褒めてはならない。じゃあつまらなかったのかと聞かれると、面白い気がする。面白かった気がする。僕が感じている不満は、「シン・エヴァ」において「さようなら全てのエヴァンゲリオン」と告げられた時と似た感覚であるし、最も具体的に言えば、ネタにマジレスされている時の不快感である。
最初から感じていたのは、テーマの不在。「風立ちぬ」で創作者としての宮崎駿のやること、やりきってしまっていないか。死にゆく菜穂子を横目に零戦を造る男を描いてしまったら、もうどんな愛も、どんな熱狂も嘘になるしかないじゃないか。「千と千尋」以来の内省に飛び込んだ世界を描くなら、彼にとって創作者としての人生を捻り出すより上のものがあるのか?
それに対して「君たちはどう生きるか」では人間としての宮崎駿を描くことで応えている(それも昔の作品でやってるじゃんとは思いつつ)。過去の自ら、現在の自らを引用しながら、ジブリ、ひいては創作の限界について考えている。うん。そうだね。そこに継ぐべき者としての主人公、眞人が宗介みたいな刈り上げに、自らの悪意の象徴としての傷跡を抱えたままやってくる。でも彼は仕事を継いではくれないんだね。悲しいね。それで今まで積み上げた石の塔は崩れてしまうわけだが、微かに残った意思を所持した彼は現実に帰って、そこに力強く生きていくわけだね。
驚いたのは、作中で「神隠し」と言及されているように、それが殆ど「千と千尋の神隠し」のプロット、異世界への旅とその脱出で完成している点。本作は筋書きの段階から、宮崎駿自身の過去作との照応を繰り返す。といって、それらを乗り越えようとしているわけでもない。ただ、引き受ける。それらはさも意味ありげに現れ、しかし作品内ではなんの意味も与えられないまま去っていく。去ってしまう。ここに言いようもない寂しさがある。「あんだけ嫌ってた庵野やら押井の手法を!?」という感情もあるし、名実ともに創作を畳もうとしていることがとても悲しい。過去を語りだした老人は、未来を見ることもなくなる。
とはいえ、主題歌の米津玄師だの、声優のあいみょんや菅田将暉だのの顔ぶれには、何だか新しい風を感じなくもない。が、主題歌から「kick back」のような作品との間で迸る火花は感じなかったし、声優も少なくともハウルの木村拓哉や、堀越二郎の庵野秀明ほどのキラーキャスティングとは感じなかった。演技の上手い下手ではない。ただ、「戦場のメリークリスマス」のデヴィッドボウイのような、その役者である必然性のある演技というのは感じれなかった。例えばあいみょんが演じたヒミは、母、姉、ヒロインの、三つの役割を一手に持つ役割であるのだから、かつてのナウシカのような重層性が必要であるはずだった。だが実際のヒミは、一人の少女として演じられ、一人の少女として映画を過ぎていった。それもやはり、寂しかった。
「君たちはどう生きるか」は、今の宮崎駿、82歳の宮崎駿が、映画を作れと言われた際に作る映画としては、殆ど百点満点だと思う。いつも通りというか、物語としては破綻しつつも、そこに込められたメッセージは、確かに観客に届き得るし、その問題意識も、納得のいくものではある。絵はとことんキレイで、CGと作画の接ぎも自然だ。だが、僕は、「今の宮崎駿が作るべき映画」というようなしがらみを解き放った、生の宮崎駿が見たかった。ロマンティシズムとポエジーに溢れた映画が見たかった。あるいは、僕の想像の外から来るような映画が見たかった。それこそ「風立ちぬ」のような、全てが破綻した映画。だが本作は、良くも悪くも期待通りだ。面白くて、絵が綺麗で、メッセージ性がある。宮崎駿の映画だった。そんなもんじゃないだろう。宮崎駿、宮崎駿、宮崎駿。愛している。一度でいいから会ってみたい。似顔絵を描いてもらいたい。ほっぺにキスしてみたい。宮崎駿、宮崎駿。ホントにこれが最後なのか?僕は中二で「風立ちぬ」を観て、人生を狂わされたのに。これが、最後?こんな良い子ちゃんな映画が?もっともっともっともっと、僕は貴方の映画が見たいのです…狂った映画でも、どうしょうもない映画でも、もっと闊達な映画が見たかった。この映画はあの石の塔に閉じ込められ過ぎていて、悲しい。寂しい。宮崎駿、本当にこれが最後なの????この映画は、固すぎないか???シュナの旅は何処行ったんだ、宮崎駿、宮崎駿……。